だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
―マタイ7:24~27ー
教会学校の賛美でおなじみの

賢い人が家を建てた 岩の上に家を建てた 賢い人が家を建てた 雨が降ってきた
雨が降り水が増し 雨が降り水が増し 雨が降り水が増し でも家は大丈夫!

とてもわかりやすい教えですが、ここで語られているメッセージは深いものがあります。実はこのたとえ話は、イエス様が語られた山上の説教の結びにあたるものです。マタイの福音書5章~7章で語られた教えを私たちがどのように受け止めて、実践するのかが問いかけられているのです。ただ聞いて終わりにするのではなく、実践すること、そしてその実践が祝福に繋がっていく事を私たちは大切にしたいと思います。現代は高速化の時代です。何事も時短し、スピーディーに行う事が重要視されます。しかし、全てがそのように運ぶわけではありません。中には時間をかけて取り組まなければいけない事もたくさんあります。特に私たちはこの日本で、一人の人が真の神様を信じて救われていく事の中に、希望と忍耐を大切にしていかなければなりません。時間はかかっても、そこに得られる祝福は永遠の価値があるものだからです。また、ここで語られているように、私たちは人生の土台を何にするかも重要です。砂の上に建てられた家が大雨と嵐に耐えられなかったように、この世の富や名声、プライドの上に建てられた人生はいつか崩れ去ってしまいます。しかし、創造主なる神様は変わる事はない確かな、真実なお方です。私たちはその神様の言葉の上に確かな人生を築く者になりたいと思います。私たちの人生の土台は何でしょうか?もう一度考えてみませんか?