今週のみことば 11月20日
さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子となることはできません。」「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あながたのうちにひとりでもあるでしょうか。」「基礎だけを築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな被をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』 と言うでしょう。」「また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、2万人を引き連れて向かってくる敵を、1万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずわかって、考えずにいられましょうか。もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。」「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの自分の弟子となることはできません。」                                          ―ルカ14:25~33-
救われた人はさらなる成長のために、積極的に聖書のことばに親しみ、それを実践する者になる事が大切です。また、この素晴らしいいのちと救いを他の人に伝える事も大切な働きです。それらの事がイエス・キリストの弟子となる事に繋がっていきます。では、イエス・キリストの弟子になるために必要なことは何でしょうか?この箇所の二つのたとえ話はその事をわかりやすく教えています。塔を建てる時に必要なものは綿密な設計図と計画です。それがきちんとできていないなら、計画は途中で頓挫してしまいます。また、強大な敵と戦うためには王は策略と兵法を尽くします。それでも勝てないとわかったら、和睦を申し込むでしょう。そのように、私達はイエス・キリストの弟子となるために、よく考えた上で決める事が大切なのです。この箇所を読むと、イエス・キリストの弟子となること、また、信仰の道に入る事はまるで出家をしなければいけないように感じるかもしれません。しかし、イエス様が語られている本当の意味は、自分のいのち、全ての持ち物を含めて全てを神様の手に明け渡しなさいという教えです。私達は自分自身や持ち物に執着すると、一番大切なもの、霊的な価値があるものが見えなくなってしまいます。それは私達にとって、逆に大きな損失になってしまいます。イエス・キリストの弟子となるために、私達はよく考える事が大切です。わかりやすく、突き詰めると、それは、損か?得か?を考える事です。確かにこの世的な意味では失うものが多いように思えるかもしれません。また、色々な心配も伴います。しかし、ここでイエス様が言われているように、神様を一番として歩む人は絶対に祝福から落ちる事はないのです。私達はこの約束に安心を見出す事ができるのではないでしょうか?ご自身に従う者に絶対に損はさせない!とイエス様は言われているのです。私達はこの約束に信頼する者になりたいと思います。私達は自分のいのちと持ち物、与えられている全てのものを一旦全て、神様の御手に委ねることができるでしょうか?