今週のみことば 8月14日

こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていたところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」                                          ―使徒12:5~11-

使徒の働き12章は、大きな転機となる個所です。キリスト者に対する迫害は以前からありましたが、その迫害がより激しくなってきたのです。12使徒の中心人物であったヤコブは、殉教しました。聖書はその様子を極めて簡潔に記しています。そして、ヘロデ王の迫害の手はリーダーのペテロに及びました。ペテロは捕らえられて、処刑を待つ身となりました。しかし、彼はうろたえず、平安を保ち、牢屋の中で眠っていたようです。教会の人々にできることは、祈ることしかできませんでした。その夜、奇蹟が置きました。神の御使いが超自然的なわざによってペテロを救出したのです。ペテロ自身も幻を見ていると思うほどでした。ペテロは祈っている人々のところに戻りました。しかし、対応した女中のロダ以外はペテロが救出された事を信じることができませんでした。熱心に祈っていながら、聞き遂げられた祈りの祝福を信じることができないところに、人の信仰の弱さを伺うことができますね。ペテロは愛する仲間に一連の救出劇を話した後、立ち去り、別の場所で宣教活動をすることにしました。ペテロが救出された事実を知ったヘロデ王は神の御力を認め、悔い改めるどころかより自分自身の権力を強め、自分を神の位置に引き上げようと演説をしたところ、虫にかまれてあっけなく息絶えてしまいました・・・ヤコブのあっけない殉教と迫害の強まりの前に、当時のキリスト者達はこの世の力に圧倒され、信仰や神の力は無力に思えたことでしょう。しかし、真実な神様は勝利を与えて下さいました。私たちはここに希望を見出すことができるのではないでしょうか?祈りはキリスト者に与えられた大きな特権です。しかし、私たちは試練や問題の中で、祈る前からあきらめてしまっている事が多いのではないでしょうか?この箇所は、たとえ弱く、半信半疑の祈りであっても、そこに真実な神様は祝福を与えて下さる希望が示されています。私たちは自分自身の力ではどうすることもできない試練や問題に出会う時があります。その時、全ての雑念や人間的な思いを捨てて、まっすぐに祈る者になりたいと思います。