ある日のこと、イエスが教えられていると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。するとそこに、男たちが、中風をわずっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした。しかし、大ぜいの人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。イエスは、「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人はいったい何者だ。神のはかに、だれが罪を赦すことができよう。」その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。」「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると彼はたちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。                        ールカ5:17~27-

力のある新しい教えを語り、多くの病人を癒しているイエス様のもとには、多くの人々が集まるようになりました。噂を聞いたある人々が中風を患う友人を担いでやってきましたが、多くの人が集まっていて、近付くことができませんでした。何とかしてイエス様に癒してもらいたいと願った彼らは、天井に上がり、屋根をはがす強硬手段に訴えました。イエス様が人々に教えを語っているその時、突然天井がはがれて、担架にのせられた病人が吊るされてきた衝撃的な光景に人々は驚いたことでしょう。イエス様は彼らの行動を一切咎めるような事はせず、「友よ。あなたの罪は赦されました。」と力強い宣言をしました。パリサイ人や律法学者達の非難を見抜いたイエス様は彼らに問いかけられました。「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」彼らは答える事ができませんでした。なぜならこれは人にはどちらもできない事だったからです。イエス様はその両方を成し遂げられました。そして、そこにいた多くの人々も驚くべきことを見て、喜びに包まれました。病の友人をなんとか助けたいという思いと信仰は大きな祝福をもたらしました。人にはできない事が神にはできます。罪の赦しと永遠のいのちは私たちの人生に無限の祝福をもたらすことができるのです。彼らがイエス様のところに何かがある!と思ったように、皆さんも、イエス様のもとに癒しと希望を見出したいと思いませんか?