今週のみことば 7月2日

主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。主はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」

サウルはダビデに言った。「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功しよう。」こうしてダビデは自分の旅を続け、サウルは自分の家へ帰って行った。                                                    ―Ⅰサムエル26:23~25-

ゴリヤテに勝利したダビデは正式にサウルに召し抱えられて、各地で勝利を収め、順調に出世していきました。ダビデの人気が高まる中で、サウルはダビデに対して激しい怒りと嫉妬を覚えるようになりました。サウルはダビデに対して殺意を抱くようになったのです。悪い霊と思いに支配されていたサウルの心を静めるためにダビデが琴を弾いたのは、世界最古の音楽療法とも言われています。サウルに狙われるようになったダビデは逃亡生活を余儀なくされました。その大きな試練の中でダビデは神様と真摯に向き合い、詩篇32篇や56篇を書き残しました。Ⅰサムエル24章と26章で、ダビデは疲れ果てて無防備になったサウルと遭遇しました。ダビデの側近は今こそサウルを倒すようにダビデに進言しましたが、ダビデはそれを拒否しました。理由は何であれ、主が油を注がれた人に手を下すべきではないと考えたからです。ダビデがサウルから受けた危害は理不尽極まりないものでしたが、ダビデは自分から復讐することはせずに、全てを主なる神様に委ねました。ここにダビデの偉大さがあります。一度目は上着のすそを切り取り、二度目は槍と水差しを取る事で、ダビデは自分の誠実をサウルに示しました。さすがのサウルもダビデに手出しができないことを悟ったようです。その後、サウルは宿敵ペリシテ人との戦いに臨み、敗れ、自ら命を絶ちました。知らせを聞いたダビデは深く痛み、悲しみ哀悼の意をあらわしました。最後までサウルとの和解を望み、それが果たせなかった事に涙を流したダビデの姿に私たちは愛と赦しの最高の模範を見ることができるのではないでしょうか?イエス・キリストもまたご自分に敵対する人や無関心な人に対して同じような思いを持っておられます。イエス様も十字架の時、最後までご自分から復讐することはせずに主なる神の御手に全てを委ねられました。怒りと嫉妬は私たちの人生を壊してしまいます。私たちはサウルの姿からそれを学ぶ者になりたいと思います。怒りや憎しみ、復讐心は何も生み出しません。私たちは愛と赦しを神様からいただく者になりたいですね。