今週のみことば そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

―ヘブル9:27~28-

イエスは彼女に言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。あなたはこのことを信じますか。」

                ―ヨハネ11:25~26-

昨日は復活祭(イースター)でした。復活祭はクリスマスと並ぶキリスト教の二大行事です。本来なら、積極的にアピールしたいのですが、昨日の礼拝もライブ配信で行いました。私自身も、自粛ムードが高まる中、例年にないテンションの低さで復活祭を迎えようとしていました。しかし、その中で大切な事を見落としていた事に気付かされました。新型コロナウィルスという見えない脅威に誰もがさらされている現状は、誰もが病、また、死と隣り合わせと言えます。それを考える時に、キリスト者と教会は永遠のいのちの希望を伝えていかなければならない使命があります。公の集会ができないなら、インターネットを使って神の言葉と福音を語る事には特別な意味があると思います。発送を転換して、今しかできない事をしっかりとやっていきたいと思います。イエス・キリストの十字架と復活は聖書の中心、福音の中核です。これを外してはキリスト教信仰は成り立ちません。キリストは私たちの罪の身代わりとなって死なれ、三日目によみがえられました。その事によって、罪と死に勝利しました。そして、同じようにご自身を信じる者が死に打ち勝ち、復活のいのちが与えられる事を明確に示されたのです。新しいいのちと希望は、福音を信じる者に与えられます。そして、それは確かに生きて働くのです。私たちはただ、信じるだけで救われます。何という幸いでしょうか!この生きて働くいのちの力と希望を体験されたいとは思われませんか?イエス・キリストは、目には見えませんが、いつも私たちと一緒にいて下さいます。また、世の終わりには再び私たちを迎えに来られることを約束されました。聖書の世界と教えの中には確かに現実では理解できない多くの事柄が書かれています。しかし、そこに神の栄光があらわされ、真の祝福を得る道があるのです。行事としての復活祭が終わっても、私たちはいつも復活祭の喜びに満ち溢れる者になりたいですね!