今週のみことば さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ているのです。というのは、私たちが信じたときよりも、今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。夜は深まり、昼は近づいて来ました。ですから、私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を着けようではありませんか。遊興や酩酊、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。
                                               -ローマ13:11~14-
神の武具と言えば、エペソ6章が有名なのですが、実はローマ書13章の光の武具の方が先に語られていたのです。この個所のアプローチは、エペソ6章とはまた異なったものになっています。先週マタイ25章の10人の娘のたとえを取り上げましたが、この個所にもその事は深く関連しています。主イエス・キリストは、人々が眠っている間に来られるのです。特にこの個所は、キリスト者や教会が眠っている時に来られると語られています。目を覚まして、イエス・キリストを伝える使命を忘れないようにしなければいけませんね。時が過ぎれば、それだけ、イエス・キリストが来られる時は近付くのですから、霊的なものへの関心と敏感さを見失わないようにしたいと思います。私たちが生活している現代は、昔と比べるなら考えられないぐらい便利になりました。しかし、より多くの複雑な問題が生まれ、人々の心の闇は増してきています。私たちはいつ、イエス・キリストが来られてもおかしくない時代を生きているのです。現実の問題を見るとがっかりすることが多いのですが、夜明け前が最も暗くても、夜明けが訪れれば、全ては新しく、明るく希望の光が照らされる事でしょう。この世の快楽や物質的なものを追い求める空しい生き方を脱ぎ捨てて、私たちはイエス・キリストを着るものになりたいと思います。「イエス・キリストを着る」とは、イエス・キリストの愛と赦しを積極的に知りたい!という思いを持つ事です。そうすれば、私たちの心は本当の意味で満たされます。私たちはイエス・キリストを着る者になりましょう。そして、その愛と赦しの偉大さに慰めと希望を得る者になりましょう。