今週のみことば そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。

                                                                   ―マタイ12:38~41-

ある時、パリサイ人達がイエスにメシヤとしてのしるしを求めて詰め寄りました。しかし、ここに至るまでにイエスは癒しや悪霊追放の奇跡を行ってきたのです。彼らはどんな奇跡を見ても満足せず、イエスをメシヤとして認めなかったのです。にもかかわらず、彼らは大きな奇跡を求めたのです。このような態度は悪い、霊的暗闇と姦淫の時代の特徴であるとイエスは語られました。イエスは、旧約聖書の預言者ヨナのしるしは十字架と復活のひな形であると語られました。預言者ヨナの物語は聖書の中でもユニークでインパクトに満ちています。ヨナのイラストを見るのはとても楽しいです。ヨナは嵐の海に投げ込まれましたが、神様が送られた大魚に飲み込まれ、奇跡的に一命を取り留めました。大魚から吐き出されたヨナは、アッシリヤの首都ニネベの町で宣教しました。その結果、王様をはじめ、多くの人々が罪を悔い改めて神様を信じました。ニネベの町は滅びを免れたのです。ニネベの町の人々は、ヨナが不思議なわざや奇跡を行ったのを見て信じたのではなく、ヨナが語った神の言葉を聞いて信じました。ニネベの人々は世の終わりの時に、罪を裁くまでの特権と祝福が与えられたとイエスは語っています。聖書が教えている真の信仰、神から祝福を受ける信仰は、不思議な奇跡やしるしを求めるものではなく、神の言葉を素直に信じる信仰なのです。最後に勝利し、祝福されるのは信仰に生きる人なのです。そうなりたいとは思われませんか?