今週のみことば 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。-イザヤ53:1~5-
来聖日はクリスマス礼拝です。心を備えて、期待してその時を迎えていきたいと思います!今日の箇所は、苦難のしもべであるキリストの姿を描いた預言です。キリストは私たちのために、全てを捨てて、弱く、貧しくなって下さいました。そして、私たちを罪と死の呪いから解放するために、極限の精神的、肉体的な苦痛を受けられました。その時の姿には、輝きはなく、誰もが目を背けるほどひどいものでした。しかし、そのキリストの苦難が罪の赦しと永遠のいのちの道を開いたのです。これこそが、真のクリスマス・メッセージなのです。この世のクリスマスは、華やかなイルミネーションやケーキ、パーティー、プレゼントなどが前面に押し出されています。それと比べるなら、キリストの受難はあまりにもかけ離れた血まみれのものです。しかし、そこに一番大切なメッセージが語られているのです。キリストの十字架が私のためのものであった事に気付く時、涙で十字架を見上げる時に、新しいいのちと人生が与えられます。クリスマスの本当の喜びを共に分かち合いませんか?