僕はあの頃。信じていました。一切疑っていませんでした。実績のあるデザイン事務所に入り、我武者羅に働いて自分を磨いてさえいれば、未来は切り開けると・・・。
幸いなことに、東京の・・・それも業界でも第一線を走るデザイン事務所で働くことができたおかげで、宮崎県のど田舎出身の僕が、たくさんの先輩クリエイターの方々に直接話しを伺う機会をたくさん持つことができました。
先輩クリエイターが発することばは、大きく分けると2つ。
ひとつは「愚痴」。
もうひとつは「美学」。
バブルがはじけた90年代以降。極端に仕事が減り(僕が話していた先輩クリエイターたちはそれでも、仕事には恵まれている方だと思いますが・・・)、ビジネスとしてのクリエイター業に行き詰まりを感じている先輩クリエイターたちは、細かい仕事の愚痴にはじまり、漠然とした社会の愚痴をこぼし出します。
地震や放射能、急激な円高、国債の増加、さらに明らかな政治不安・・・現在ではことはもっと深刻だと思います。
その愚痴の先に。自らが思う「美学」を語りだすのです。
クリエイターなんだ~!デザインやってるんだ、かっこいいね~!
そんな一般的なイメージはまやかしの幻想。本当は限りなく末端に近い作業員に過ぎません。そのことに気づいておきながら、みな口々に「美学」を語るのです。
「美学」とはつまり、クリエイター業界でいうところの「洗脳」ツールではないのか?僕たちは長い伝統の中で培われ、紡ぎだされてきたことば。具現化されてきたモノ・コトに支配されているのではないのか?
ある日・・・。
その日も12時を軽く回った時間に帰宅し、愛する息子と妻が寝るベッドにゴソゴソと入り込み、目を閉じた時。ふと・・・そのことを思い出したんです。
ひとつは「愚痴」。
もうひとつは「美学」。
ここまで突き詰めてことばにした時。僕は真冬だったにも関わらず、全身にじっとりと汗をかいていました。
そして横に寝ている妻と子供の顔を見ながら、「愚痴」をこぼしながら、最後には「美学」で自分を無理やり納得させるような漢(おとこ)にはなりたくない!旧スペックの「旧型」クリエイターにはなりたくない!と・・・。