ボケた話やら医者通いなど沈むネタが続いたので
(しかも写真なし。今日は使い回す。)
ここらでちょっと舞台のことでもと思ったものの
行ってないし。
今、悲しいのは劇場に行けないこと。

これまで海外のオペラやバレエ、ミュージカルや音楽祭など洋物アップしてきたが
同じぐらい「和」好きでもある。

昨日は振袖姿の女の子達を見て
「可愛いねえ。写真撮ってあげようか?」
頼まれてもいないのに思わず声かけてしまう。
「ほんとですかあ?お願いしまーす」と素直な3人組。
一緒に歩いてた友達「田舎の気のいいおばさん思い出すなあ」

着物は見るのも着るのも、ゆかりの芸事も好き。

遡ると3歳で藤間流の発表会に出て以来
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真ん中です。出たことさえ記憶にないが主役らしい。
この写真は前にもアップしたけど
この舞台直後に日舞をやめたことは記さなかったと思う。
お稽古でおしっこ漏らして以来嫌になったという
黒歴史なのだ。

しかし、日舞や歌舞伎、着物が好きなことには変わらず
中1の時には関西テレビ「逆転クイズジャック」で
司会をしてた片岡孝夫(現仁左衛門)会いたさに
出場し、目の前の孝夫さんにポーっとなった。

次は文楽、浄瑠璃、能などせっせと通った20代
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歌舞伎は南座や中座の楽屋に入れていただけるまでに
なる追っかけレベル
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女子大生の頃
坂東三津五郎さんの八十助時代。
三津五郎さんと澤村藤十郎さんの日舞はじっと
見過ぎて目が痛くなる素晴らしさだった。

なんか、ものすごいおしとやか風に写ってるけど
観劇代捻出のためバイトに走り回り
洋楽好きでディスコ通いしてたから
よく終電逃してた。
とにかく若者が元気だった時代。

以来、観たり聴いたり踊ったりの生活数十年
コロナ禍まで暇があれば、歌舞伎座や新橋演舞場に飛び込んでたのに
まさかこんなことになろうとは。

でも歌舞伎は日本の宝、
コロナが明けたら若い人にも幕見からでもすすめたい。
時代は違うけど時々6代目菊五郎や海老さま(11代団十郎)の芸を生で観たかったなと思う。

近年でも、その才能を神に愛されたのか
応援してた人が次々と天に召されるのが残念でならない。
幼い頃、頭を撫でてくれた勘九郎(後の勘三郎)、
写真の八十助、
二人とも50代半ばで天国へ。
そして人柄も舞台も好きだった12代目団十郎・・・

特に団十郎さんが亡くなった時は涙が出た。
息子の海老蔵が語った「父の人生は苦労の連続だった」の言葉どおり
母親が家政婦というだけで、父親海老さまとの結婚がなかなか認められず
晴れて公表された後も
19歳で父親、続いて若くして母親を亡くし
後援会の方の娘さんと結婚(断れないよね)
したらこの希実子夫人の実家が莫大な借金を団十郎に
残して破産
そしてヤンチャな息子、仕事盛りの闘病
凄まじい人生の中で、あの柔和な笑顔とおおらかな芸風を人々の心に残して逝ってしまった。
本当に好きな役者さんだった。

きっと自由な恋愛結婚でなかったとはいえ、
良い奥様で良い夫婦だったから
あの人柄を保てたのでしょうね。

ところで、歌舞伎界で不思議なのは
歌舞伎役者の奥様て、少し前まで芸者さんが多かったし
役者自身もその夫人も本妻の子でないことが多いのに
(大きな力を持って尊敬されてた先の勘三郎夫人は
6代目の別宅である芸者の娘であることは長女久里子さんの自著にあるように広く知られている。他にもよくあること)
それは問題なくて、団十郎のお母さんは反対されたということは、やはり家政婦の地位は相当低かったのかと。

今では、料理自慢や掃除が趣味の良家の奥様も
多数家政婦協会に登録してるのにね。

あー、歌舞伎の話し出すと止まらない。
なので普段ひかえてる。

しかし、劇場に行けない人生がこれほど空虚であるとは。

昨日も落語家の友達が、webで聞いてとURL送ってきたけど

直接聞きたいよ!

歌舞伎も四季もバレエもライブも

あと何ヶ月我慢すればいいのか。

なんか支離滅裂なボヤキブログになってしまった。

三連休、セブンイレブン以外家にいるとこうなるのかな。