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言うまでもなく
バンクシー
のパロディ

クスリと笑える
そして、常にどこかに知性がある

これぞイギリス流

日本のユーモアについて考えてみた。

日本にユーモアは存在しないとまで
バッサリ切り捨てた人がいたが

確かに同じ笑いの材料でも
ユーモアとはほど遠いものを日夜目にする。

私達の身近なところにある笑いというのは

どちらかというと日本人でさえ顔をしかめるようなものが多いような気がする。

国民性そのままに
英国のシニカルな笑いに対して
日本は直接的で短絡的

芸人を熱湯に入れたり気味悪い動物を触らせたり
傷めつけ

苦痛と恐怖にゆがむ顔を見て

おおぜいの仲間が立ち上がり

アーハーハーハと手を叩いて笑う残虐さ
(外国人がよくやる日本人の真似)

それを見て育った子供達が、さらに友達を痛めつけることに快感を覚える人間となる。

これで世界から一目おかれようったって
無理がある。

日本人はよく差別された、アジア人だから人種差別された
と自虐に走るが
違うんですって!

肌の色のせいにしてはいけない。

バカにされるようなこと、してるんですってば!

逆に言動が立派な日本人は、それは現地でも尊敬され
相応しい扱いを受けてるのを
目にも耳にもしてきました。


私は人種差別なるものをあまり認めない人間である。

かつてはあった。確実にあった。
自由の国アメリカにも黒人が入れない学校があった。


黒人が世界一の大国大統領になる時代

ハンガリー移民がヨーロッパ有数の文化を誇る国の大統領になる時代

問われるのはあくまで個々の質へと変わったように思う。

差別されたと騒ぐ国と人間は

肌の色によってじゃないですよ

あなた(とその国)のふるまいに原因があるんですよ

と思える事例を多々見てきた。

ユーモアの話からそこまで飛ぶ?
と思われますか。

けど、ユーモアのセンスと人生の質

国家の品格て比例してるんじゃないかなと思えるのです。

年中テロだなんだと争ってる血の気の多い国には

ユーモアのエッセンスがないような気がして。