東日本震災時、神戸で「少し良いもの」を募り
これに勝るものはないでしょう。
いち早く義援金と共に現地へ送ったところ
「取り合いになったよ。さすが神戸」と喜んでいただけた話は以前上げた。
「少し良いもの」と募ったのは、おにぎりや最低限のものは
他からも届くだろうから(実際そうだったらしい。)普段それなりの生活をしてきた人には
心の和みになるものを、という考えで
日持ちのするパウンドケーキや未着用メインの新品ブランド衣類などを送ったのだった。
「美味しいものいただいて綺麗な服もらって
涙出たよ。」
と、関係者から告げられたが
それとて、こちらの気持ちを汲んで
そう言って下さってるだけかもしれないのだ。
気を遣わせてるかもしれないと、当時話し合った覚えがある。
まだ食べて着て
と現実的である分ましだったが
物を送る送られるという行為は被災時でなくとも
Amazonで何でも入手可能な昨今、よほど留意しなければ
ならないことではないでしょうか。
だから何を言いたいかというと
被災地の人々に本当に必要なのは、お・か・ね
義援金
これに勝るものはないでしょう。
ご友人知人、親類の方へ送るにしても
お金にしませんか?