以前見たテレビ番組は、アメリカの児童犯罪(特に性的な)前科者に対し
ドアに「この者はこういう前科を犯しました。」
と明記され
周辺住民にその旨告知されるというものだった。

殺人を犯したわけではなく
日本でいう書類送検レベルで、である。

それでも、一度犯してしまったら
これほどまでの差別と仕打ちに遭う
という内容であった。
番組の制作意図は、これでは更生しようにも難しいじゃないかという同情的なニュアンスも感じられたが
私は、シンプルに「犯罪を犯さなければいいだけのこと。」と思った。

お腹が空いて食べ物を盗むのとはわけが違う。
子供の心に、一生残る傷を負わせるのだ。
それで本人が普通の生活を送っていいのか。

一生こうやって周囲の目に晒され怯えながら
生きていくしかない。

その恐怖は、ある意味、再犯抑止力に繋がっていくのではないかと思う。

逆に、未成年を連れ回して書類送検されても
職場にさえ知らされず「まじめないい人」と
周囲から言われ続けるなら、今回のように、いとも簡単に再犯に手を染めるのではないか。
怖くはないのだろう。
普通の日常生活が送れてたのだから。

そして、アメリカと違って
周囲は、この犯罪者を知るすべがないのであるから
子供に、誰に気をつけたらいいか、教えることが
できないのである。

親御さんはじめ近隣住民は、わずか100メートル先に
先月書類送検された男がいるとわかってたら
子供だけで歩かせることはなかったかもしれない。

以前、加害者に厚い日本の警察について
署長と語り合ったことがある。
もちろん話をするのは友人知人達であるから
私と意見が合うのは当たり前であるが
(周りの友人達は見解が一致しなくても、
素人が「それは違う」などと知ったかぶりしない。
あくまで、「私はこう思う。」)
何より本人達が歯がゆい思いを押さえてきた。
児相もそうだが、正義感をもって熱く戦っても
法律の壁の前にうなだれて無力感に打ちのめされると言う。

が、それでも戦い続けてほしいと思う。

さらにディープに憤りが続く。

一体、誰を何を守っているのか。

保護者会会長の見守り隊が少女を殺したつい昨年の事件も
もはや話題に上がらない。

右向いても左向いても

どこに、誰に気をつけたらいいのか分からない社会で

地域にもよるだろうが、うちの最寄駅や小学校前、
公園などは
午後になるとお迎えの保護者で混雑している。

実は、私もお迎え要員として
学校に出入りしている。
公立校だが一日中、ガードマンが校門前にいる。
(ロンドンの近所の公立校には必要ない。)

数年前から学校では
たとえ小六であっても女の子だけで公園で遊んではいけない
と指導している。

これが日本の現実である。