久々の中欧は古きよき時代の面影を色濃く残す街です。
ヨーロッパはどこもそうですが、プラハの石畳、建築物、鐘の音・・・
先人が残した遺産を守るための国と民をあげての努力は並大抵ではないと思われます。
私たちは京都の美観の中に芸能人のカレー屋、ラーメン屋が人気を呼ぶ国から来ています。
日本と日本人は国まるごと面白い。
目の前の快楽に溺れ易く、流行に飛びついては引き潮の如く忘れる。
人の話に耳を傾けない割には、確固たる信念を持たない。
この、時に思慮浅いともとられがちな(失礼)国民性の長所と短所は
裏あわせのように思います。
プライドなく何でも取り入れた結果、今日の日本は
世界有数の暮らしやすい国になりましたね。
でも暮らしやすいのと高潔な国とは別物ではないでしょうか。
日本人は、日本経済が最悪な時でさえ、海外旅行をし続けました。
多くの人が気付き始めてるようです。何かが違うと。
たとえ生活しやすくても、憧れ求めてるものは海の外にあるのかもしれません。
永遠に。
中欧で残念なのは、朝から晩まで現地人にぼられまくること。
これらの国に着いた時から、我々日本人は覚悟しなければなりません。
ツアコンにとって戦いの火ぶたが切って落とされます。
ぼり、ぼられ、ぼる時・・・。
私はヨーロッパに心酔しています。
そして日本人がどれだけ変かも多少わかってきました。
これは常に海外に出てる人間なら否応なく思い知らされる現実です。
しかし、比較から生まれる客観性を持ち合わせた上でも、やはり日本を愛してる。
日本を一歩出た時から、全ての日本人を守りたいと思う。
道に迷ってる日本人がいたら他社のお客様でも目的地まで送り届けて感謝されたりしますが、
そこに損得勘定はありません。
日本人が馬鹿にされたり、悪の餌食になりやすいことに敢然と立ち向かってきたし
これからもそうしていきたいと思っています。
ただ今回新たに感じたことは、日本という国はもはや信用される国ではなくなってしまったのだなあということです。
日本を含むアジア系の人々が現地で度々起こす大がかりなカード絡みの詐欺事件や窃盗事件。
店では店員が、日本人や中国人、韓国人の後を万引きしないかと目を光らせて付いて回るのです。
かつての買わせたい目的でつきまとっていた態度とは違う。
VISAやマスターの表示が出てる店でさえ、アジア人と見ると「機械が壊れてるから」などの理由で
現金を所望する。cashが欲しいという月並みな事情からではないのは明らかです。
本当に、数年前と違って疑うような目で見られてるのが伝わってくるのです。
悲しいぐらいに。
今回も、私のお客様の服装や振る舞いはエレガントであり、
レストランや買い物店も観光客中心の所ではなかったのに残念です。
私が初めてチェコ、ハンガリーを訪れた20年前、これらの国に自由という文字は存在しませんでした。
ハンガリーには多少呼吸できる空気がありましたが、
チェコや東ドイツの人々の顔には中国、ソ連同様笑顔がなく何かに怯え、
全体主義に統治される恐怖が感じられました。
マルクス、エンゲルス、レーニンなど、思想信条を持たない私にとって
オッチョコチョイ以外の何者でもないオッサン達と、彼らに傾倒した単純な人々
(私の伯父など外大のロシア語学科まで出てしまった。情けない。)
によって笑顔が奪われた数十年の重さ。
世界が間違いを認めても一度しかない青春は帰らないのです。
「笑ったら罰金でも取られるの?」当時のお客様の質問に、私なりにお答えしていました。
「彼らが自分の言葉で語り、人間らしい心を取り戻すのに今世紀中は無理でしょう。」
そして世紀は変わり、共産主義、社会主義の地獄から抜け出した彼らは
別のことに意欲を燃やしています。
二度と苦しい生活を送らないために、今日も明日も外国人から力の限りぼりまくる。
今回もつくづく攻防戦には疲れたけど、その中からもいいことがあった。
というより無理やり見いだしました。
イタリア人が可愛く見えてきたりするのです。
ハンガリーやチェコでの出来事と比べたら、イタリア人のズルサなんてちっちゃい、ちっちゃい。
ヨーロッパはどこもそうですが、プラハの石畳、建築物、鐘の音・・・
先人が残した遺産を守るための国と民をあげての努力は並大抵ではないと思われます。
私たちは京都の美観の中に芸能人のカレー屋、ラーメン屋が人気を呼ぶ国から来ています。
日本と日本人は国まるごと面白い。
目の前の快楽に溺れ易く、流行に飛びついては引き潮の如く忘れる。
人の話に耳を傾けない割には、確固たる信念を持たない。
この、時に思慮浅いともとられがちな(失礼)国民性の長所と短所は
裏あわせのように思います。
プライドなく何でも取り入れた結果、今日の日本は
世界有数の暮らしやすい国になりましたね。
でも暮らしやすいのと高潔な国とは別物ではないでしょうか。
日本人は、日本経済が最悪な時でさえ、海外旅行をし続けました。
多くの人が気付き始めてるようです。何かが違うと。
たとえ生活しやすくても、憧れ求めてるものは海の外にあるのかもしれません。
永遠に。
中欧で残念なのは、朝から晩まで現地人にぼられまくること。
これらの国に着いた時から、我々日本人は覚悟しなければなりません。
ツアコンにとって戦いの火ぶたが切って落とされます。
ぼり、ぼられ、ぼる時・・・。
私はヨーロッパに心酔しています。
そして日本人がどれだけ変かも多少わかってきました。
これは常に海外に出てる人間なら否応なく思い知らされる現実です。
しかし、比較から生まれる客観性を持ち合わせた上でも、やはり日本を愛してる。
日本を一歩出た時から、全ての日本人を守りたいと思う。
道に迷ってる日本人がいたら他社のお客様でも目的地まで送り届けて感謝されたりしますが、
そこに損得勘定はありません。
日本人が馬鹿にされたり、悪の餌食になりやすいことに敢然と立ち向かってきたし
これからもそうしていきたいと思っています。
ただ今回新たに感じたことは、日本という国はもはや信用される国ではなくなってしまったのだなあということです。
日本を含むアジア系の人々が現地で度々起こす大がかりなカード絡みの詐欺事件や窃盗事件。
店では店員が、日本人や中国人、韓国人の後を万引きしないかと目を光らせて付いて回るのです。
かつての買わせたい目的でつきまとっていた態度とは違う。
VISAやマスターの表示が出てる店でさえ、アジア人と見ると「機械が壊れてるから」などの理由で
現金を所望する。cashが欲しいという月並みな事情からではないのは明らかです。
本当に、数年前と違って疑うような目で見られてるのが伝わってくるのです。
悲しいぐらいに。
今回も、私のお客様の服装や振る舞いはエレガントであり、
レストランや買い物店も観光客中心の所ではなかったのに残念です。
私が初めてチェコ、ハンガリーを訪れた20年前、これらの国に自由という文字は存在しませんでした。
ハンガリーには多少呼吸できる空気がありましたが、
チェコや東ドイツの人々の顔には中国、ソ連同様笑顔がなく何かに怯え、
全体主義に統治される恐怖が感じられました。
マルクス、エンゲルス、レーニンなど、思想信条を持たない私にとって
オッチョコチョイ以外の何者でもないオッサン達と、彼らに傾倒した単純な人々
(私の伯父など外大のロシア語学科まで出てしまった。情けない。)
によって笑顔が奪われた数十年の重さ。
世界が間違いを認めても一度しかない青春は帰らないのです。
「笑ったら罰金でも取られるの?」当時のお客様の質問に、私なりにお答えしていました。
「彼らが自分の言葉で語り、人間らしい心を取り戻すのに今世紀中は無理でしょう。」
そして世紀は変わり、共産主義、社会主義の地獄から抜け出した彼らは
別のことに意欲を燃やしています。
二度と苦しい生活を送らないために、今日も明日も外国人から力の限りぼりまくる。
今回もつくづく攻防戦には疲れたけど、その中からもいいことがあった。
というより無理やり見いだしました。
イタリア人が可愛く見えてきたりするのです。
ハンガリーやチェコでの出来事と比べたら、イタリア人のズルサなんてちっちゃい、ちっちゃい。