こんばんわ。


昨日はジェットフィールド代表の宮村氏に

頼まれて、会社の裏にあるバンタンで学生たちと

ディスカッション。一方的に(笑)渋谷系メンズ市場の

過去・現在・未来を話してきました。

オッサンの思い、伝わったかしら??


その後は、週明け月曜発売のegg別冊の

打ち上げ会に。。



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よくわかりません。。


カメラマンさんが車で送ってくれるってことで

(↑飲酒運転じゃないよ!)

安心して飲みまくってしまいーの、

帰りの車中で寝たと言うより「気絶」しーの、

爆睡しーの、起きてみれば体調最悪…。

石川涼さん、井上亮さん、今井諒さん、

この「リョーチャンズ」と行く予定だった

お台場のカーショーも欠席。。

皆様、スイマセン。


連日の接待やミーティングで肝臓を酷使しました。

寝不足とストレスも重なってたりしたんで、

本日はさすがに休肝日。体を休めつつ、

久々に洗車もしたりして。



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ピッカリンコ。これからの季節は水温メーターに

ハラハラドキドキ。。



さてさて、やっと本題に入りまして、

「メンズエッグ・ビター」は休刊決定となりました。


このこと、モデルに伝えないとなぁ、、、。


僕は奈良岡功祐に、「たまにはビターモデル全員で

メシでもどう?」と連絡を取り、一同は渋谷パルコの中の

ダイニングに集まった。

この頃にはメンズエッグから、野口允宏もビターモデルとして

移籍してきており、本人のモチベーションも

すごく高まっていた時期だった。


ビターはモデルの人数が絞られていたので、

意思疎通もシッカリしていてまとまりがあった。

それぞれハタチを越え、それなりに背負うものも

あって、彼らとは「大人の会話」ができた。


だから、今までこーゆう席がなかったほうが

珍しい。記念すべき、第1回ビター会。


しかし開催理由は皮肉にも、休刊決定の通知…。



意を決し、みんなに伝えた。


「ビターは休刊する。けど、俺はしばらくしたら

復刊させたいんだよね」。


決して強がりでも、みんなを絶望させない

ためのウソでもない。


僕は本気で復刊させてやると思っていたから。


ただ、雑誌の休刊というのは事実上の「廃刊」である。

本当に復刊する雑誌なんて、よほどの理由が

ないかぎりほぼ皆無だし、

復刊させるには、相当の壁を乗り越えなくては

ならない。現状のビターで短期間でそれができるかは、

確率としてはとても低いものだった。。


伝え終わった後、功祐に言われた一言に

ドキっとした。


「東宮さん、最初からちょっと様子がおかしかったですよね」


ウーム。バレてしまったか!


モデルに対しての罪悪感と、休刊にした敗北感が

僕をさらにミジメにさせる。

けど、一番伝えづらいモデル達に話せたことで、

妙にスッキリもしてたりして。。


店を出てみんなで記念撮影大会。そしてカラオケ。

泣いているモデルもいて、楽しくも悲しい

ビター会となった。



編集部では、最終号の制作がスタート。

休刊という事実は各クライアントにも伝わって

いるので、広告はガタ落ち。それに、

「もう次はない」ということがハッキリと

わかった状態で雑誌を作ることが、

これほど残酷なものであるとは。。


少ないスタッフで終わるものを必死に作る…。


モチベーションをどこに見出せばいいのか…。


最悪な状態の編集部を救ったのは、ビターモデル達だった。

みんなスケジュールをビター最優先にしてくれて、

ちょっとでも多く!と、最後の撮影をエンジョイしてくれた。

松下幸司が遠くでの仕事先からバイクで

すっ飛んで来てくれたこと。今でも覚えてるなぁ。


そんな彼らに触発され、活気を取り戻した編集部。


こうして“最高の卒業アルバム”は、2007年7月5日、

店頭に並べられた。




売れる雑誌を作るなら、作り手の主観なんて

いらない。でも、それがある雑誌は、なにか

熱いものを生み出してくれる。







つづく。