メンエグ10周年ということで、
今日から数回に渡ってメンエグの
歴史なんぞを書いてみようと思います。
ま、読者サービスの一環ってことで…。




あれは1999年1月—。

当時24歳でegg編集部員だった僕と、当時27歳で
egg副編集長だった木村氏、たった2人で

「eggの男版」

創刊プロジェクトがスタートした。

企画書も見ていなければ読者ターゲットも
決まっておらず、ましてや雑誌のタイトルも
決まっていない中でのスタート(笑)。
今に比べればのどかな時代であった…。

そんな曖昧すぎる状況の中
何から始めていいのかもわからないので、
2人で極寒の渋谷センター街へ日参。
とりあえず、街の男の子をリサーチ
してみることにした。

しかし、渋谷にいるコのほとんどが
傷んだメッシュのロン毛×ダッフルコート×
ヒザの抜けた501×ワラビーという出で立ち。。

ウ~ン、ダサイ。

チーマーのようなオシャレな不良が渋谷から
去り、時代は裏原宿ブランド全盛期。
文字通り、お洒落な若者は
原宿にのみ存在していたのだ。

この頃、木村氏と僕とで、日々激論が
繰り広げられる(激ってほどでもないけど)。

「ダサイ男の子を載せて雑誌が成立するか」

「原宿系ファッションにターゲットを絞っては」

「今の渋谷にはファッションのジャンルがない」

「今日はどこのキャバクラ行きますか」

渋谷のギャルをターゲットにしたeggが順調に
部数を伸ばしてはいたものの、対する渋谷メンズは
壊滅的なほどにダサく、2人の間では、渋谷を
ターゲットにメンズ雑誌を作るのはいかがなものか…
という疑問がわき始めていた。

だが、悩んだ末に木村氏が下した判断は、
今にしてみればまさに、歴史が動いた瞬間である。
(さっきから大げさですか?)

「やっぱり、eggの看板とか人脈をフルに
使えるのは渋谷系だし、ライバル誌も1冊だけ
だから、渋谷で行こう!」

ちなみにライバル誌とは、主婦の友社から
発行されていた「ボーイズラッシュ」という
メンズファッション誌。同社のギャル雑誌
「Cawaii」の男の子版である。今や2誌とも
休刊の憂れき目に遭い…。

また、当時のeggはスーパー高校生ブームを経て
男の子も人気モデルとして誌面で活躍していたので、
ヨッチャン、中村洋平、増田敦、植竹ヒロムといった
人気ドコロを擁しており、創刊に向けた大きな武器には
違いなかった。


渋谷にするか、原宿にするか。


誕生前夜にはこんなエピソードも隠されて
いたんですねぇ。原宿向けだったら、間違いなく
即休刊してたかもしれん(汗)。


そうと決まれば、怒濤のモデル探し。
真冬のセンター街、クラブ、あらゆる場所で
「今度eggの男の子版を作る予定なんですが…」
と名刺をバラまいた。
初期メンズエッグの看板モデル「堤ケンジ」が
マック前でカラオケのビラ配りをしていた所を
キャッチしたのもこの頃。歩き疲れしゃべり疲れ、
1月の東京の寒さが身にしみた……。

人手が足りない時は、
西麻布にあったクラブ「Ring」で知り合った
女の子にもキャッチを手伝ってもらったっけなぁ。
「メシおごるから」とか言って。


ま、そのコが





今の嫁なんですが。





つづく