18/03/25 読売新聞のマインドフルネス記事を「3.0」から読み解く

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 (まとめ)

 

既存のマインドフルネスと光の中のマインドフルネスが合わさることによって起こる奇跡。

今まで二重構造が欠けていたからこそ、色々なものがはっきりしなかったのだとよく分かりました。

 

「死と輪廻」のような究極な問題も、光の中のマインドフルネスになって初めて解くことができる。

二重構造だからこそ解ける。死と輪廻は第四図の中でのみ存在するのであり、第五図には存在しない。

 

最近(3月20日)読売新聞に掲載されたマインドフルネスの記事について。

記者の感想を読むと、マインドフルネスを世間がどうとらえるのかが分かる。

 

マインドフルネスとは「自分の気持ちを客観的に観察している」こと。

「とらわれのない状態で観察する」こと。ありのままに観ることが基本となる。

「怒っている自分」を客観的に観察することで、「ああ、いま自分は怒っているな」と気づく。

囚われなく、評価なく、好き嫌いなしに気づく。そのような気づきがなりたつのは、過去や未来ではなく「今」。「今」のなかで気づくのである。

 

この自分のこころを横から観るような視線は、全く初めての視点である。

その結果として、心が穏やかになり、怒りからすこし楽になるという経験をするが、それは、ビギナーズラック。

そのとき、これを地道に続けてゆけば、自由になれるのではないか、と期待する。

 

しかしこのビギナーズラックは、普通は続かない。

そのうち、マインドフルネスとしての「気づき」が、いままで良く知る気づきとの違いが、分かったようで分からなくなり、うまくいかなくなる。マインドフルネス学会による定義「マインドフルネスとは、今この瞬間の体験に意識を向け、評価をせず、とらわれのない状態でただ観ること」これを本気でやったら失敗する。

それは必然的であり原理的な失敗である。

 

何故失敗するかというと、最初から原理的にできない宿題が出ているのである。

本気でやって失敗し、その失敗した自分をごまかさないでいることで、このマインドフルネスという宿題の真意がわかる。一生懸命やった末に「自分を客観視すること」はできない」と、敗北を認めた人は、いままでの何かが死に、新しい何かが生まれるのを経験する。

 

では、お釈迦さまが、我々になぜ最初から不可能な宿題を出したかというと、自分を客観視することは、今までの自分(第四図の私)のままではできないことを知らせるため。それが可能であるためには、今までの自分ではない新しい何かが必要になってくる。

 

既存のマインドフルネスは、第四図という発想のなかだったが、そこに第五図という新しい発想が加わると、奇跡が起こる。第五図がない時ははっきりしなかった「マインドフルネスの主体」が見えてくる。自分を客観視するのは、第五図としての私であり、マインドフルネスとは、第五図からの視線である。

 

出来ない宿題が出されたのは、自分を客観視するための全く新しい私、新しい考え方へと導くためのものであった。

光の中のマインドフルネスは、只管打坐がぴんとこないひと、阿弥陀様に救われるとは何か、キリストの復活とは何かの意味がわからない全ての人達を救うことができる。

 

第四図から第五図へは地続きではない。その間は、完全に断絶している。

一歩一歩進むものではない。正確なメソッドが必要。

まず、微細な感覚を感じることで、映画の上映とそこにのみ込まれることを止める。

そのあとで、慈悲の瞑想で第五図へとジャンプしてゆく。慈悲の瞑想の目的は、ネガティブな心を良い心に変えるとか、心が穏やかになることを目指すようなレベルのものではなく、第五図へと跳ぶためのものである。なぜなら、慈悲は第五図にしか存在しないから。

 

その慈悲の瞑想で大事なのは、自分を捨てること、何かに身を任せること。ここでは、一切の自力は通用しない。

絶対他力が慈悲の瞑想の急所である。これはエゴが最も嫌がることである。

ゆえにエゴは慈悲の瞑想に反発し「慈悲の瞑想は不必要」と主張しがちである。

この慈悲の瞑想という、エゴが一番嫌がることをすることによって、我々はエゴを乗り越えることができる。

 

本当のマインドフルネスが分かった時に、第五図としての私が分かる。

第五図としての私が分かったときに、第五図には、死も輪廻も存在しないのだと分かるのである。

 

 

(感想)

 

山下先生のおっしゃるように、既存のマインドフルネスブームは、今まで自分を客観的にみることなど考えたことすらなかった人にとって、全くなかった視点だったと思います。怒っている自分に気づく事で、怒りが小さくなった、という経験は、今まで怒りに完全に巻き込まれていた人にとって、驚きの体験になると思います。

 

しかし二重構造がはっきり提示されず、第四図の中で気づこうと頑張るしかないのが今の既存のマインドフルネスで、原理的に無理なことをやっているのだから、どうしても出来ないからやめてしまったり、怠けてしまう。

 

理想を目指し、第四図のなかで頑張って頑張って、一生懸命やってみてもうまくいかないという絶望を経験する。

しかしこの絶望のなかで「敗北」することで、私たちが二重構造だということが分かる道が開かれる。

ここでごまかさず負けを認めた人が、第五図へといけるのだということがよく分かりました。

 

慈悲の瞑想を先生が最重要だとおっしゃることに全く同感です。慈悲の瞑想の素晴らしさは、自分自身がいつも体感しています。自分が手放されていくのを毎回感じて、深い慈悲に満たされていく喜びを感じています。

 

わたしはひかり

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「わたしはひかり」

 

瞳を閉じてすわる

 

まぶしい光が
私の内側にひろがり
その光に癒される

 

とめどなく溢れる涙
悲しみの涙が
あたたかい涙に変わっていく

 

どんなに現実がつらくても
どれだけ人生に打ちのめされても

私の本質は
眩しいほどに輝いていて
なにひとつ傷ついてはいない事を知る

 

私は光


何からも傷つけられない

 

さあ、勇気を持って
現実に立ち向かおう

 

 

透明な風のメッセンジャー 梨江