「良書に出会う幸せ」

世の中に良書は少ない。

20代、30代は、趣味は読書
という感じで、山のように本を読んだ。
幸せになるための本を読んで
テクニックだけ得ても
幸せになどなれない。
ほとんど捨てて来た。

今は、ヨーガの経典や、良書を
何度でも繰り返し読むスタイル。

ゴールデンウィークはこの本を
再び読み直す。

以下本文

私たちの多くは孤立して
暮らしているわけではありません。
相互依存の社会に生きているのです。
相互依存という関係なくしては食料も
雨風をしのぐ屋根も、仕事すら手に入らないでしょう。
スターバックスでコーヒーを
買うことだってできません。

ですから、他者に対するのに慈悲を用いる事で
自分の生活の質も向上するのです。
自分と世界の関係
自分自身の生活を見つめ直せば
親愛の情や慈悲がいかに有効なのかが
分かってきます。

ミンゲール・リンポチェ

‎RitaのYOGAでゆるめるディープな時間:Apple Podcast内のよがゆる2-31インド哲学を学ぼう!僧侶の尚文さんによるインド哲学の解説‎RitaのYOGAでゆるめるディープな時間の番組、エピソードよがゆる2-31インド哲学を学ぼう!僧侶の尚文さんによるインド哲学の解説-2021年4月19日リンクpodcasts.apple.com

インド哲学を学ぼう!

ヨーガスートラを読むのに必要な基礎知識です。

僧侶の秋田尚文さんが分かりやすく解説してくださっています!


 インド哲学の歴史まとめ(サーンキヤとヴェーダーンタを中心に)


 参考図書:

立川武蔵『ヒンドゥー教の歴史』(2014)山川出版社 田中嫺玉『インドの光―聖ラーマクリシュナの生涯―』(1991)中央公論社 大橋俊雄校注『一遍上人語録』(1985)岩波書店



インドの宗教・哲学の時代区分

1紀元前 1500-紀元前 500 年(農業社会):ヴェーダの宗教の時代(バラモン教の時代)

2紀元前 500-紀元後 650 年(商業社会):仏教やジャイナ教などの非アーリア系の思想文化が優勢だった時代。 3紀元後 650-1200 年(農業社会):ヒンドゥー教興隆の時代

4紀元後 1200-1850 年:イスラーム教支配下のヒンドゥー教の時代



・1の時代、仏教等は商人階級に支えられていた(カーストや伝統にとらわれない自由な教義)。 →550 年に統一王朝グプタ朝が滅びる→インドは戦国時代に→商人階級が没落 →インドは農村を中心とした社会に戻っていく→ヒンドゥー教が再び興隆していく(3の時代)

・3の時代にバラモン正統派の哲学学派=六派哲学が形成される。



1. ヴェーダーンタ学派:インド最大の哲学学派。「梵我一如の一元論」。

2. サーンキヤ学派:ヨーガ・スートラが依拠する学派。「プルシャ(魂)とプラクリティ(現象)の二元論」 3. ヨーガ学派:ヨーガの実習と理論を研究。ほぼ理論はサーンキヤ学派と同じ。

4. ミーマーンサー学派:祭式や儀礼の執行規定を考察。

5. ヴァイシェーシカ学派:世界を構成する元素とその組み合わせを考察。

6. ニヤーヤ学派:論理学や認識論を研究



・ヴェーダーンタとサーンキヤの最大の違いは一元論(梵我一如)と二元論(魂と現象)の違い。 ・サーンキヤの神:プルシャ(純粋に精神的なもの)≠ヴェーダーンタの神:ブラフマン(内側にも外側にも偏 在)

・外側の世界を認めるかが問題!

→サーンキヤは否定し、ヴェーダーンタ(のほとんど)は肯定。≒山川草木悉有仏性、色即是空、空即是色 ・ヴェーダーンタの「アートマン」=サーンキヤの「プルシャ」:後世においてほぼ同じ意味で使われる。


・ブラフマンとは何か?→「現象世界の基体」 ・ただし、ブラフマンの解釈は多様→ブラフマンの解釈史がヴェーダーンタの発展史となっている。


   

・ヴェーダーンタの展開(だんだんと神が自分から遠ざかって行き、神への信仰が協調されるようになっていく)

 śankara kevalādvaita

1. シャンカラ(8 世紀):純粋不二論 プラクリティ(現象)はすべて幻(無知)であって、本来は梵のみがあ

り、「汝(アートマン)はそれである」と認識することが至福をもたらす。

Rāmānujā Viśiṣṭādvaita

2. ラーマヌジャ(12 世紀):制限二元論(三元論ぽい) 神(梵)の部分としてプラクリティとアートマンが

ある。意識や世界は神の身体である。梵は内制者として世界のあらゆるものの中に入っている一方で、本質 としては世界の外にある。 cf.ウパニシャッド:「有」が自己分裂→熱と水→生物(有=梵が手を伸ばして世界に入り込む) →世界や個は幻ではなく、真実であり、現実≠シャンカラ

Madhva Dvaita

3. マドゥバ(13 世紀):二元論(第二のものである現象や魂が、第一のものである神と同じ度で実在する)

=神と現象や魂はそれぞれ永遠不滅で互いに異なっているが、神(梵)の支配下にあるため、神への信愛(バ クティ)によってのみ解脱が可能。cf.「汝はそれではない」(凡夫は神に頼るしかない)≠シャンカラ

Vallabha śuddhādvaita

4. ヴァッラバ(16 世紀):純粋一元論 神(梵)=アートマン(魂)=プラクリティ(現象)。この世界の全て

に神が宿っている(香木は見えなくても香ってそれとわかるように)。解脱ではなく神に永遠に仕えること が大切。

Caitanya acintyabhedābheda

5. チャイタニヤ(16 世紀)派:不可思議不一不異論 魂と現象は神とリンクしているが同じではない(魂と神

とは質的には同じだが、量的に異なる、太陽と光線のように)。そして人間の心はそれを知ることはできな い。しかし親愛(バクティ)によってその結びつきを経験できる。


→歌い踊る教団(≒一遍上人) →現代のハレークリシュナ教団へ(「ハレー・クリシュナ」と神の名を歌い踊る)

※一遍「他力不思議にして、凡夫は思量しがたし。仰いで弥陀の名を唱えて、十光の益を蒙るべし」


※ラーマ・クリシュナ(19 世紀のヒンドゥーの聖人、ヴィヴェーカナンダの師、ラーマクリシュナ・ミッション 宗祖) (ヴェーダーンタの核心が梵我一如にあることを確認した後で)「だがね、世間に住んでいる一般の人たちが、 肉体意識のある人たちが、『我はブラフマンなり』などと言うのは、よくないことだよ。世間なみの生活をしてい る人びとにとっては、ヴェーダーンタは―よくないね。たいそう害になる。一般の人は、神に対して、主人に対 する召使の気持ちを持っているべきです。神様、あなたはご主人、私はあなたの召使、というふうに―。肉体が 自分だと思っている人たちが『我はそれ(ブラフマン)なり』という気持ちを持つのは、よくないことだ」


「どの道を通ってもあの御方のもとに行けるよ。けれど、“私”が残っている間は信仰の道が一番楽だ。(中略)つ まりギーターはこう教えているわけだ。ターギー(捨離)!さあ、生きとし生けるものよ、すべてを捨てて神を つかむために努力せよ、とね。」

       

「カリユガ(末世:悪徳の時代)の今、ヴェーダに書いてある通りの行事をする時間があるかい?だから現代は、 ナーラダのような”信仰”がいい。(中略)つまり、あの御方の名を唱え、賛歌を歌うことだ。」


※善導大師「われら愚痴の身、曠劫よりこのかた流転して、いま釈迦仏の末法の遺跡たる 弥陀の本誓願、極楽 の要門に逢へり。」


※一遍上人「捨ててこそ」「念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をもすてて、貴賤高下の道理をもす てて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願う心をもすて、また諸宗の悟りをもすて、一切のことをすてて申す 念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかない候へ。」


文責:秋田 尚文


こんにちは

ポッドキャストアップしています!

聴いてみてね〜♪

 

YOGAを始めてからの変化を話しました。

いやー、それはもう、別人ですからww

 

10代、20代より、今の自分が一番元気です。

ではリタさんの闇をお楽しみ下さい(笑)

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