短編がとりあえず書き終わりました。
こんにちは、渋谷です。
昨日は身内のお葬式に行っていました。久しぶりに弟の顔見てびっくりしたよ。
10年以上帰ってこなかった弟がとうとう帰って来たんですよ。音信不通も3年ぐらいで、生きてるのかすら不明だった弟。絶対おっさんになってるんだろうと思ったら、若いままでびっくらこいた。
私のすぐ下の弟なので、年齢的にはおっさんのはずなんですけどね。独身だからかなんなのか、全然変わってねーんでやんの。ハゲでもしてたら笑ってやろうと思っていたのに。ハゲても太ってもない。中身も変わってなくて、ちっとも口もききゃしない。
でも久々に顔が見えて良かったです。良かったですって、お葬式なんだから良いわきゃないんですけどね。まあ生存確認できたし。うん、故人に感謝です。
で、短編も書き上がったと。140枚まで膨らんでたものを102枚まで削ったので、これで意味が通るものになってるのかがちょっと分かんないのですが。まだ時間があるので、一回忘却の果てに追い込んでから見直したいと思います。まだ2枚削らないかんし。最後の一文も書けてない。まだ締め切りまで1か月あるので一旦ここで休止です。6月に入ってからもう一回読んでみよう。
そんなわけで、頭は次のお話にシフトです。もう大体の大筋は出来上がってるので、詳細を詰めていきたいと思います。人間として大事なものが欠けてる女の子と、人間として大事にしなきゃいけないものを放りだしちゃったおじさんのすったもんだを書きたいなと思います。長さは中編、200枚ぐらいで収まれば考えていますが、今回は無駄なシーンをどんどん出して無駄に抒情的なのが書きたいのでどうなることやら。結局は長編になってしまうのだろうか。
最初と最後だけはぎっちり決めといて、あとは流動的に無駄なシーンを配置していきたいな。ああ、楽しみ。なんて思いながら読んだ吉本ばななさんの「哀しい予感」が今の私の気分にもドンピシャで、すごく良かった。そうそう、こういう無駄が多いやつが書きたいのよ。無駄っていっちゃうとちょっとアレで、失礼でもあるんだけども。
このところ読み漁っていたミステリーにない抒情性。「哀しい予感」、ほんとーに美しいお話でした。
主人公は弥生ちゃん、19歳です。年子の弟とお医者さんのお父さんと優しいお母さんの四人暮らしです。弥生ちゃんは幼少期の記憶があいまいで、放浪癖があります。すぐふらふら家出しちゃうんですね。心の奥底に「ここじゃないんだよな、私なんか忘れちゃってるんだよな」という思いがあるんですね。それを探しにふらっと出かけてなかなか帰ってこないという困った子です。でもヤンキー感はゼロ。家族仲も良好で、とくに弟の哲生とはちょっと姉弟の枠を越えちゃいそうなぐらいに仲良しです。
そんな弥生ちゃんの今回の家出先は、叔母さんのゆきのさんのお宅です。ゆきのさんは叔母さんと言ってもまだ全然若いんです。30歳。私立高校の音楽の先生で、出勤時にはグレーのスーツにひっつめ髪で地味に出かけていきます。でも一人で暮らしている一軒家は折れ放題のほぼ廃屋。部屋は強盗が入った後ぐらいの荒れようで、床はざらざらしたなんかの上に埃が降り積もってるんだそうです。……ぎゃあ。毎朝8時きっかりに掃除機をかける私にはキツイ描写です。足の裏に異物が触って平気って感覚がすごいよな。
ちょっとすると嫌悪感を抱いてしまいそうなゆきのさんの暮らしっぷりなんですが、なんだか憎めないんですね。ものすごい美人なのに汚部屋の住人、寝たいときに寝て雨が降ったら仕事を休み、一日何時間でも窓の外を眺めていたり、爪切りと枝毛きりで一日を無駄にしてみたり。
傘立てにカビが生えていると訴えた弥生ちゃんに、「じゃあ家の裏にぽいっとしちゃってなかったことにしちゃいなよ」なんて言うんです。実際家の裏庭には学習机やデカいぬいぐるみなどの粗大ごみが山積み。ご近所のやべえ家って感じですね。たまにありますよねこういう家。実はうちの実家もこうだったりする。こないだ帰ったら十数年敷地内に打ち捨てられていたドラムセットがやっとなくなっていた。ドラムセットやで?なんで粗大ごみの日に出さんのや。
だからまあ、ゆきのさんは少々脳に機能的な齟齬があるタイプの人なのかなという感じがしますわね。うちのおかん確実にそうやからね。まあ逆に私はそれが神経質の方に出てるのかも知れんがね。とにかくそういう、「困った人」であるゆきのさんを、吉本さんの描写がとても魅力的な女性に書き上げているんです。
文章に現実味が薄いのよね。地の文は弥生ちゃんの一人称で書かれているんですが、まるで詩のような細い線の美しい比喩が多数使われています。弥生ちゃんの目を通して全体が描かれているから、人としてちょっとヤバいゆきのさんも「生活能力はないけれど、自由で何者にも縛られない、美しくも不思議な女性」になる。
そんなゆきのさんと、弥生ちゃんと彼女に思いを寄せる哲生くんが、放浪の末に「家族」と「愛」を探す物語なんですね。美しく夢のようなシーンが重なってひとつのお話を作り出していました。そうか、この作品のどこに「無駄」があったのか分かったぞ。無駄に美しかったんだ。事実を語る時に、あったことの三倍ぐらいのボリュームで表現が綺麗だったんだ。だから「無駄が多いなあ」と私は感じたのかも。だってゴミ屋敷の困った住人が、ふんわり掴みどころのない儚い女性になるんだもん。
これは吉本さんの力量……とかではなく、特性なんじゃないかと思いました。あったことの三倍も美しい世界を作り出す特性。だって30年前の作品なのに全然古臭くなくてみずみずしい。2019年の作品としてもまったく違和感なく読めるんです。表現だけじゃなくテーマも登場人物も全然古くない。普遍的なものを美しい表現で書き表すとこういう作品が出来上がるんですね。圧倒的、これが才能というやつなのか……。
「哀しい予感」という題名が、不釣り合いな希望のラストを迎えるこの作品、とても良かったです。吉本ばななさん、もっと読もう。「キッチン」と「うたかた/サンクチュアリ」しか読んだことないのよね。私も無駄に綺麗な作品が書きたい。
あああー、読書楽しいなっ。いろんな才能に触れることができるのがとてつもなく楽しいです。次は久々の桜庭一樹さん。わくわく、わくわく。
というわけで、またっ!