twitterを見たら桜井ユタカさんの訃報が!
悲しい。本当に悲しい。
桜井さんの書いたオーティス・クレイのライブインジャパン、あのライナーが大好きだ。
素晴らしいライブが日本で実現したこと、そのライブをレコードとして多くのソウル・ファンへ伝えられることへの多大な喜びに溢れている。
ほかの誰よりも桜井さんのソウルに対する文章は、深い愛情と熱意に溢れていた。中村とうようやフリーソウル界隈と決定的に違う点は知識や文章力、見識の差ではない。愛情と熱意だ。
ただただ、本当に悲しい。
水曜の朝、8時25分ぐらい。
仕事の依頼だと思った俺は、弾むような声で電話を取った。相手は客ではなく、動物病院だった。たったいま、ジュリーが死んだという。
現実味がなかった。なにせ、ゆうべ回復を確信したばかりだった。月曜のようなぐったりした様子ならともかく、あの元気な姿を見たばかりなのに・・・。
悲しみが募ったのはいつもとは違う診察室のなかで、診療台の上で眠るように横たわるジュリーを見た瞬間だった。触ってみるとまだ暖かかった。ほんとうに電話の寸前まで生きていたんだ。排出物がもれるのを防ぐためだろう、先生がバスタオルにジュリーをくるんだ。抱き上げると妙に軽くてぐったりとしていた。
泣きながらクルマの助手席にジュリーを置いたところで、待合室にいたおばさんが話しかけてきた。わざわざついてきたのだ。
「どうして?」
「腎不全」
「腎不全?」
「おしっこが出なくなって」
「ふうん。何歳?」
「わかんない。拾ったから」
「そう。しっかりね」
「どうも」
まっすぐ家には帰らなかった。片手でジュリーを撫でながら、ゆかりの場所をめぐった。
とはいえ、犬と違って猫だ。最初に出会った大門と、拾ってくらしはじめた千代台のアパートぐらいしかいくところがない。
それにしても、ジュリーと暮らした9年でこのあたりはつくづく変わり果ててしまった。
大門は見る影がない。特に柳小路のあたりと並んで、ジュリーを拾った函館信金松風店のあったあたりは、更地が目立つどころか、むしろわずかな建物のほうが目につくぐらいだ。
千代台は当時の大門のようになってしまった。路面に面したほとんどの店がシャッターを下ろし、貸し店舗となっている。
ただ、かつて暮らしていたボロアパートは健在だ。隣の部屋も以前と同じカーテンがかかっている。ということは、おそらく、当時と同じ隣人が暮らしているはずだ。
隣には小学4,5年生の愛嬌があってやさしい、太った子がいて、ウチの猫をよくかわいがってくれた。もうハタチぐらいになるんだな。いま会ったらわからないだろう。元気なのだろうか。どんな青年になったのだろうか。
家に戻ってから、ジュリーを寝室につれていった。俺の布団と、嫁と子供が寝ている布団に挟むような形だ。撫でながら何度も泣いた。悲しみと罪悪感が入り混じっていた。息を荒くするようになってから、いや、水を吐くようになってからすぐに病院へ連れて行ったらこんな姿にはならなかったのではないか。そもそも、多頭飼いであってももっと愛情を注ぎ細心の注意を払っていたらこんなことには・・・。
最後に会ったとき、ケージの奥にいたにもかかわらず、俺と娘を認めると前面に出てきてのどを鳴らしていた姿を思い出した。元気になったんじゃなくて、最後の力だったんだよな。みんながいるところに帰りたかったんだよな。こんな馬鹿でいい加減な飼い主でも、大好きだったんだなあ。バカだね。壁や柱をボロボロにして、あちこちおしっこひっかけて、飼われるなり即効で子供つくって、うるさくて、ドジで、マヌケで、やさしくて、大きくて、かっこよくて、人なつこくて、子供好きで、いい猫だったなあ。ごめんな。本当にごめんなさい。
寝室にいると一緒にいるのがつらすぎて、リビングにいるとジュリーの近くにいないのが申し訳なくて、出たり入ったりを何度もくりかえしているうち、時間は過ぎた。
ジュリーの訃報を伝えられたときには晴れていたのに、妻を迎えに行った夕方は雨模様になっていた。電話で妻は晴れやかな声で帰宅前に動物病院にジュリーの見舞いに行きたい、と要望した。俺はうなずいたが、あとで聞くと声が沈んでいたという。
妻が出てくるあいだ、しばらく考えあぐねていた。どんなふうに打ち明けたらいいのか。
バックシートに乗り込んだ妻は、ジュリーのことを話している。前日自分は見舞いに行けなかったし、俺と娘の話では元気を取り戻しているのだから、一日明けてますます元気になっているはずだと思い込んでいた。
「あのさ。ジュリー、死んだから」
「死んだの?」
妻は取り乱すかと思ったがそうではなかった。いや、クルマのなかで示さなかっただけだ。家に帰った妻はジュリーにすがりついて、泣きじゃくり続けた。収まってから、クッションを使ってベッドをつくっていた。
この日の夕食はすき家の牛丼だった。買いに出かけた途中の道端で、半年ぐらいの大きさの猫が死んでいた。近所でよく見かけた猫だ。食事を終えてから、ダンボールとタオルを持ってその猫の遺体を保護した。放置した挙句にカラスに食い散らかされすぎることを考えると、あまりにもかわいそうだ。ジュリーが死んだ同じ日に見つけたんだもの、同じような弔いをしてあげられないけれど、せめて・・・。
帰宅してから改めてタオルでくるみなおした。外傷はない。このあたりには野良に餌をあげている家があるので、栄養失調気味なわけでもない。まだ子猫といっていい大きさなのに、どうしてなのだろうか。ジュリー同様、眠っているだけのように見える。ダンボールのなかに小分けにした餌を同封した。翌朝、その遺体を保健所につれていった。ごめんな。今度うまれたら、ウチの猫になれよ。
仕事の依頼だと思った俺は、弾むような声で電話を取った。相手は客ではなく、動物病院だった。たったいま、ジュリーが死んだという。
現実味がなかった。なにせ、ゆうべ回復を確信したばかりだった。月曜のようなぐったりした様子ならともかく、あの元気な姿を見たばかりなのに・・・。
悲しみが募ったのはいつもとは違う診察室のなかで、診療台の上で眠るように横たわるジュリーを見た瞬間だった。触ってみるとまだ暖かかった。ほんとうに電話の寸前まで生きていたんだ。排出物がもれるのを防ぐためだろう、先生がバスタオルにジュリーをくるんだ。抱き上げると妙に軽くてぐったりとしていた。
泣きながらクルマの助手席にジュリーを置いたところで、待合室にいたおばさんが話しかけてきた。わざわざついてきたのだ。
「どうして?」
「腎不全」
「腎不全?」
「おしっこが出なくなって」
「ふうん。何歳?」
「わかんない。拾ったから」
「そう。しっかりね」
「どうも」
まっすぐ家には帰らなかった。片手でジュリーを撫でながら、ゆかりの場所をめぐった。
とはいえ、犬と違って猫だ。最初に出会った大門と、拾ってくらしはじめた千代台のアパートぐらいしかいくところがない。
それにしても、ジュリーと暮らした9年でこのあたりはつくづく変わり果ててしまった。
大門は見る影がない。特に柳小路のあたりと並んで、ジュリーを拾った函館信金松風店のあったあたりは、更地が目立つどころか、むしろわずかな建物のほうが目につくぐらいだ。
千代台は当時の大門のようになってしまった。路面に面したほとんどの店がシャッターを下ろし、貸し店舗となっている。
ただ、かつて暮らしていたボロアパートは健在だ。隣の部屋も以前と同じカーテンがかかっている。ということは、おそらく、当時と同じ隣人が暮らしているはずだ。
隣には小学4,5年生の愛嬌があってやさしい、太った子がいて、ウチの猫をよくかわいがってくれた。もうハタチぐらいになるんだな。いま会ったらわからないだろう。元気なのだろうか。どんな青年になったのだろうか。
家に戻ってから、ジュリーを寝室につれていった。俺の布団と、嫁と子供が寝ている布団に挟むような形だ。撫でながら何度も泣いた。悲しみと罪悪感が入り混じっていた。息を荒くするようになってから、いや、水を吐くようになってからすぐに病院へ連れて行ったらこんな姿にはならなかったのではないか。そもそも、多頭飼いであってももっと愛情を注ぎ細心の注意を払っていたらこんなことには・・・。
最後に会ったとき、ケージの奥にいたにもかかわらず、俺と娘を認めると前面に出てきてのどを鳴らしていた姿を思い出した。元気になったんじゃなくて、最後の力だったんだよな。みんながいるところに帰りたかったんだよな。こんな馬鹿でいい加減な飼い主でも、大好きだったんだなあ。バカだね。壁や柱をボロボロにして、あちこちおしっこひっかけて、飼われるなり即効で子供つくって、うるさくて、ドジで、マヌケで、やさしくて、大きくて、かっこよくて、人なつこくて、子供好きで、いい猫だったなあ。ごめんな。本当にごめんなさい。
寝室にいると一緒にいるのがつらすぎて、リビングにいるとジュリーの近くにいないのが申し訳なくて、出たり入ったりを何度もくりかえしているうち、時間は過ぎた。
ジュリーの訃報を伝えられたときには晴れていたのに、妻を迎えに行った夕方は雨模様になっていた。電話で妻は晴れやかな声で帰宅前に動物病院にジュリーの見舞いに行きたい、と要望した。俺はうなずいたが、あとで聞くと声が沈んでいたという。
妻が出てくるあいだ、しばらく考えあぐねていた。どんなふうに打ち明けたらいいのか。
バックシートに乗り込んだ妻は、ジュリーのことを話している。前日自分は見舞いに行けなかったし、俺と娘の話では元気を取り戻しているのだから、一日明けてますます元気になっているはずだと思い込んでいた。
「あのさ。ジュリー、死んだから」
「死んだの?」
妻は取り乱すかと思ったがそうではなかった。いや、クルマのなかで示さなかっただけだ。家に帰った妻はジュリーにすがりついて、泣きじゃくり続けた。収まってから、クッションを使ってベッドをつくっていた。
この日の夕食はすき家の牛丼だった。買いに出かけた途中の道端で、半年ぐらいの大きさの猫が死んでいた。近所でよく見かけた猫だ。食事を終えてから、ダンボールとタオルを持ってその猫の遺体を保護した。放置した挙句にカラスに食い散らかされすぎることを考えると、あまりにもかわいそうだ。ジュリーが死んだ同じ日に見つけたんだもの、同じような弔いをしてあげられないけれど、せめて・・・。
帰宅してから改めてタオルでくるみなおした。外傷はない。このあたりには野良に餌をあげている家があるので、栄養失調気味なわけでもない。まだ子猫といっていい大きさなのに、どうしてなのだろうか。ジュリー同様、眠っているだけのように見える。ダンボールのなかに小分けにした餌を同封した。翌朝、その遺体を保健所につれていった。ごめんな。今度うまれたら、ウチの猫になれよ。
診断名は腎不全。
恐らくおしっこが出ていなかったのだろう。
ウチには8匹の猫がいるため、いちいち気づかなかったというのが実際のところだった。
だいたい、つい数日前までほかの猫を追い掛け回したり、外に出て走り回っていたばかりなのだ。
土曜日の朝、ジュリーを見舞いに行った。点滴の管がくっついていた。
いくつかの数値は下がったものの黄疸がひどく、予断は許さない状況だと医師は言った。自力で排出できないので、カテーテルをつけているのだという。
それでも前日より元気な様子に見えたが、普段よりはおとなしかった。
夕方、仕事を終えた妻と娘を連れて再び病院へ行った。
妻もジュリーが回復しつつあると見て取ったようで、おろかにも俺たちはジュリーの帰還を予想してしまっていた。
日曜が休診だったので月曜の朝に動物病院へ行ったが、そこで見たジュリーは土曜日ほど元気が感じられなかった。それでもいくつかの数値は正常値に下がったと医師は説明してくれた。
夕方、妻子を伴って再び見舞いに行った。ジュリーの様子は明らかに朝よりも不調だった。震えて、苦しそうだった。土曜日の夕方にジュリーの様子を見てから、早ければ月曜には退院出来るのではないかと俺たちは楽観的な憶測を立てていたが、そんな甘い見立てなんか吹っ飛んでしまった。俺たちはおとなしくなった。なにもしゃべれなかった。
火曜日、仕事が忙しくて朝や日中は病院へいけなかった。
夕方、保育園に娘を迎えに行った足で動物病院へ行った。急な残業があると妻は行けなかった。
ケージの奥に寝そべっていたジュリーは、俺たちを認めると管をつけたまま近寄ってきた。指を入れるとこすりつけて、のどをごろごろと鳴らした。表情もだいぶ元気なようだ。ずっと点滴のみだったが、餌や水も出ている(食べてはいないと医師に言われたが)。黄疸が引かないから予断は許さないというものの、血液の数値もだいぶ平常値に近づいたというし、なにより現実のジュリーの姿そのものが回復の証明ではないか。
安堵した。入院がいつまで長引くかは知れないし、以前のような体調には戻れないかもしれないが、いずれにせよしばらく経てばまたいつもどおりの暮らしが再開されるに違いない。
そんな希望的観測は愚昧ゆえではなかったと思う。それぐらい、ジュリーは元気を取り戻していた。
そしてそれが生きているジュリーを見た最後だった。


恐らくおしっこが出ていなかったのだろう。
ウチには8匹の猫がいるため、いちいち気づかなかったというのが実際のところだった。
だいたい、つい数日前までほかの猫を追い掛け回したり、外に出て走り回っていたばかりなのだ。
土曜日の朝、ジュリーを見舞いに行った。点滴の管がくっついていた。
いくつかの数値は下がったものの黄疸がひどく、予断は許さない状況だと医師は言った。自力で排出できないので、カテーテルをつけているのだという。
それでも前日より元気な様子に見えたが、普段よりはおとなしかった。
夕方、仕事を終えた妻と娘を連れて再び病院へ行った。
妻もジュリーが回復しつつあると見て取ったようで、おろかにも俺たちはジュリーの帰還を予想してしまっていた。
日曜が休診だったので月曜の朝に動物病院へ行ったが、そこで見たジュリーは土曜日ほど元気が感じられなかった。それでもいくつかの数値は正常値に下がったと医師は説明してくれた。
夕方、妻子を伴って再び見舞いに行った。ジュリーの様子は明らかに朝よりも不調だった。震えて、苦しそうだった。土曜日の夕方にジュリーの様子を見てから、早ければ月曜には退院出来るのではないかと俺たちは楽観的な憶測を立てていたが、そんな甘い見立てなんか吹っ飛んでしまった。俺たちはおとなしくなった。なにもしゃべれなかった。
火曜日、仕事が忙しくて朝や日中は病院へいけなかった。
夕方、保育園に娘を迎えに行った足で動物病院へ行った。急な残業があると妻は行けなかった。
ケージの奥に寝そべっていたジュリーは、俺たちを認めると管をつけたまま近寄ってきた。指を入れるとこすりつけて、のどをごろごろと鳴らした。表情もだいぶ元気なようだ。ずっと点滴のみだったが、餌や水も出ている(食べてはいないと医師に言われたが)。黄疸が引かないから予断は許さないというものの、血液の数値もだいぶ平常値に近づいたというし、なにより現実のジュリーの姿そのものが回復の証明ではないか。
安堵した。入院がいつまで長引くかは知れないし、以前のような体調には戻れないかもしれないが、いずれにせよしばらく経てばまたいつもどおりの暮らしが再開されるに違いない。
そんな希望的観測は愚昧ゆえではなかったと思う。それぐらい、ジュリーは元気を取り戻していた。
そしてそれが生きているジュリーを見た最後だった。


