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闘魂★SOUL MUSIC

本当のことなんて書くわけないだろ

ジュリーが入院したのは5月24日の金曜日だった。帰宅した妻がジュリーの異変に気づいたのだ。体が震え、体が異常に冷たい。
「死んでしまう」とうろたえて口走る妻に、「病院行くぞ」と俺はクルマを出した。

前兆はいくらでもあった。
その以前から呼吸がやや荒かったし、その前後の数日間やたら水を吐き、おかしな鳴きかたをした。
恐らく、毛玉を吐きたいのだろうと俺たちは高をくくっていた。以前から何度かそうした行動を示したことがあったからだ。

水曜日から水を吐く量が異様に増えた。
木曜にはリビングに戻るとジュリーの嘔吐により、俺の携帯が水びたしになって壊れてしまった。夜、ヤマダ電機にスマホを買いに出かけた。
ヤマダ電機なんかじゃなくて動物病院に行くべきだったのだ。
本当に悔やんでも悔やみきれない。
「吐きたくてもはけないんだろうなあ」
「草でも買ってきたら?」
「そうする」

馬鹿か俺たちは。
金曜になり、ジュリーの吐く回数は減った。体調が好転したのだろう、と俺はそっとしておいた。それもよくなかったのだ。夕方になり、帰宅した妻が様子を見たときの光景は冒頭に記したとおりだ。

動物病院の駐車場は満車で、とりあえずジュリーと妻子を下ろしてクルマを停める場所を探し、遅れて動物病院へ入った。既にジュリーは診察を受けていた。女性の医師は深刻な顔つきをしていた。娘は泣きじゃくっていた。途中からだが、ジュリーの状態が相当に重症なのは会話の端々で理解した。あとで聞いたところ、放置していたら2,3時間もたずに絶命していたという。
あまりにも体温が下がりすぎたために検温できず、血圧が下がりすぎたために血液検査のための採血すら困難な有様だった。
「どうなるかわからないけどやってみるしかない」という意味のことを医者が言った。
この日からジュリーは入院することになった。

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ここ数日、チルがやたら目立つ。泣きながらあちこちうろつき回るのだ。
理由はわかっている。ジュリーを探しているのだ。
ジュリーがいたソファーやイスの周囲を歩き回るチルを見るのは本当につらい。
いつもよりそっては毛づくろいしてもらっていたから。
チルはもともと「バカだね」と蔑まれるほど人に触ってもらうのが好きな猫だったのだけれど、ジュリーが来てからはそれほど人に近づかなくなった。ジュリーがいるから、人間はそれほど必要ではなかったということだ。

ジュリーは本当に優しい猫だった。
9匹いた我が家の猫のムードメイカーだったのは、そのおおらかで陽気で人懐こくおっとりとした性格によるものだ。

一家を形成していたチル、トラ、ノアのほかにも、マルともよくお互いを毛づくろいしていた。
チャーミーとは普通。よく、八つ当たり? で叩かれていた。
女の猫に叩かれたあとのジュリーの表情はなんとも言えず愛嬌があった。
マンガなら「どうしてボクが?」というセリフが描かれているような感じ。
マルもたまに、何の理由もなく通りすがりのジュリーを叩いていたなあ。
でもジュリーは絶対に反撃しなかった。

チャーミーのように人懐こい猫でも、子供に対しては苦手なのか姿を隠すことがあったが、ジュリーだけは違った。
猫の扱い方なんかわからない幼児が訪れても、唯一姿を見せ、遊び方なんか知らないで当てずっぽうにふりまわす猫じゃらしにさえ反応してあげた。

娘が生まれてからもそうしたやさしさは変わらなかった。
まだ赤子だった娘の傍らで寝たり、猫との遊び方や接し方を知らないのに遊んであげていた。
カタコトで喋れるようになった娘が好きだと最初に言ったのはブリと大吉。
「ブリ」とはジュリーのことだ。舌足らずでジュリーと言えなかったのだ。

長いこと娘はジュリーを女の子だと思っていた。
ずっと前から一緒にいる俺や嫁からするとこんなに図体が大きいのにとも思うが、たぶん長い毛がファンシーで、女の子の領域に属するルックスだったからだろう。

いま、またしてもチルがうろついている。おい、チルと呼ぶとひざの上に乗った。
今日、ジュリーを焼いた。

最初にコンタクトを取れたペット斎場が都合上日曜日まで空いておらず、やむをえずその日に予約を入れたのだが、昨日正午からの気温の上昇は遺体の保全が危ぶまれるほど著しく、ジュリーが死んだ水曜に電話をかけて出なかった七飯町の斎場に電話をしてみると、金曜午前10時に予約が取れたのでそちらに変更することにした。

日曜日まで安置することを想定して、大きな発泡スチロールとドライアイスは買ってきていた。
水曜日、眠っているだけのようだったジュリーは、木曜日の朝になると腹に水がたまっていた。午後、発泡ケースに移管するために抱きかかえると腰周りにかけていたタオルがはだけたが、昨日まではうっすらピンク色だった腹部が緑っぽく見える。僅かだが茶褐色の液体が口周りを汚している。
本当は日曜の朝まで家に置いておきたいけれど、残念ながらその日その時間が訪れる頃にはジュリーのことを疎んじてしまうだろう。

チャーミーやマルなどは、発泡に近づくと怪訝な顔で隙間から漏れるにおいを嗅いでいた。ドライアイスや蓄冷剤、凍らせたペットボトルを入れたジュリーの柩は少し開封するだけでも冷気を感じるほどだし、外観的にはジュリーの顔はかわらないのに、腐敗は確実に進行しているのだ。

いや、実際死んだ水曜日とはもう違っていた。あの日は一日中ただ眠っているだけのようだったのに、一夜明けた木曜にはやはり死んだ顔になっていた。顔のピンク色だったはずの部分が紫色になっていた。

不思議だったのは、ジュリーと家族を形成していたチル、トラ、ノアの3匹がまったく柩に近づこうとしないことだった。チャーミーや大吉、マルといったあたりは何度も柩を置いている寝室に出入りしては顔を近づけたり、匂いをかいだりしたのに、トラなどは部屋のずっと遠くから寝室を眺めて呼ぶといなくなりさえしてしまうのだった。

夜、布団の傍らにジュリーも柩を置いて眠った。
妻や娘には言わなかったが、隙間からそれほど強くはないが確実に死臭を感じた。
「最後の夜だからジュリーの話をしよう」と俺が提案し、しばらくぼそぼそと話が続いた。その会話は既に書いたエントリーや、今後書こうとしていることと同じだから省くが、気にかかることがあった。
「でもあんまりジュリーのこと考えたくないの」と妻が言った。
「なんで?」と俺は顔を見ないで訊いた。「後ろめたいから?」
「うん。本当は助けてあげられたんじゃないかと思っているから」

朝になった。いつのまにか俺の布団で娘が寝ていた。傍らの柩の蓋を開け、ジュリーに朝の挨拶をした。勝手なもんだ。生きているときは、こんなにマメに挨拶なんかしたことなんてなかったのに。
開いたときはかなりの冷気を感じさせるくせ、ドライアイスは既に消滅しかかっていた。シャワーを浴び、コーヒーを飲み、身支度をしている妻と今日の予定などを話し、また寝室に戻った。ずっと同じ顔のままで目を閉じ、腕を伸ばしたままのジュリーの顔をまじまじと眺め、額を撫でた。お別れの挨拶を告げに既に身支度を終えた妻が寝室に入ってきた。今朝は遅刻するギリギリに出るつもりだったし、実際に出たのはそんな時間だった。
妻を送ってから、また寝室でジュリーと過ごした。30分ほどだっただろうか、もっと短かっただろうか。考えるのは同じ後悔や同じ愛情、同じ思い出ばかりだ。

素晴らしい晴天。
雪がとけてからずっと寒い日が続いていたのが嘘のようだ。
旅立ちには実にふさわしいじゃないか。なあ、ジュリー。
保育園を休ませた娘と二人で七飯のペット斎場まで行った。助手席にジュリー、バックシートに娘。
あえて函館新道は通らず、信号が多い国道5号線を通行した。
「おまえ、こっちのほうに来たことなかっただろ? 生まれたのがこっちのほうだったら違うかもだけど」
産業道路との交差点で信号待ちのとき、傍らのジュリーに声をかけた。蓋を開けようとすると「ダメ」と後ろから娘。「泣くからダメ!」

函館から離れるにつれて風景は長閑になる。
「おまえ、こういうところ住みたい?」
「別に」と娘。
「ジュリー、こういう風景似合うと思わない?」
「わかんないよう」
「そうだ、今日終わったらパパとジュリーが出会った場所に連れてってやるか」
「行ってみたい」
「よし、じゃあ行こう。今の家の前にパパとママ、ジュリーやみんなが暮らしていたアパートも行ってみよう」

色々な人から伝え聞いたとおりにラッキーピエロの横に入り、変電所の先まで向かう。舗装道路が終わり、土の道になって間もなくペット霊園があった。思ったほど大きな建物ではない。時間は約5分前。受付に出てきた男性に招かれるまま、霊安室? に入る。ジュリーの入った柩を渡す。システムや金額などの説明を受けるが半分うわのそらだ。
電話で告げたコースは一任個別というもので、単体で焼いてくれて骨も返還してもらえるのだが、出棺や骨拾いには立ち会えないというものだ。
「10時までいいですか」と断って、俺は蓋を開いてジュリーの顔を撫でた。涙が出てきた。
「かなり心残りのようですけれど、立会い葬にしてはいかがですか?」
俺は断った。仕事で同行出来なかった妻への遠慮があったからなのだが、今は後悔している。いや、断りながらもわかっていた。絶対に後悔するだろう。後悔するに決まっている。

男性に促されるままに待合室で待機していた。娘からすると退屈極まりない時間。正面側の窓の外には変電所があり、横側の窓からはおばさんたちが作業している最中の農地が見える。そしてゴーという音のなかでジュリーが骨になっている。シュール。

退屈する娘をつれて外へ出てみた。困ってしまったのは、娘の年相応の質問のせいだ。
「煙になって天国になるっていうけど煙出てないじゃない」
恐らく技術開発の賜物だろう、煙突からは夥しい熱が発散されているため、陽炎のように周囲が揺らいで見えるだけだ。
「煙突のまわり、ゆらゆらして見えるだろ? ああやって空に溶けてるの」
「溶けたらどうやってあたしたちを見てるの?」
「見えるよ。やさしいネコだったもん」

事前の説明では1時間と言われたが、正味40分ほどだっただろうか。
あんなに大きかったジュリーが、こんなに小さな骨壷になって戻ってきた。涙がとまらない。精算と書類への記名を済ませ、車に乗った。ますます涙があふれてくる。本当に悲しい。父親が死んだのはジュリーを拾った前後で、祖母が死んだのはその前年だったが、それ以上に悲しい。もっとしてやれることがあったのではないだろうか。いや、あったはずなのだ。
それをしなかった、できなかった自分が本当に嫌だ。