日本民間放送連盟のシンポジウムでの発表の中で切ないのがあった。
子供たちに模擬番組を作ってもらい水族館をレポートする内容
というものとなったが、全く取材せずに「ここには三万匹の
魚がいる」子供はレポしたため大人が、指摘したところ
「テレビだからどうだっていいじゃん」といわれ、ショックを
受けたということだ。
正直なにが切なく感じたかというと放送に携わっている人達が
いまの放送が、周りからどう見られているのか、理解して
いないという事である。いまのテレビ番組の有り様では
子供たちにそう言われても申し開きが出来ないだろう。
ヤラセや、同じものを、これでもかと流していたり、
さりとて数字が取れてるかといえば、期待作ほど低迷していく。
いま放送されてる「南極大陸」の数字が右肩下がりなのは
テレビ局の怠慢にある。わかってるけど止めれないという
スタッフだっていたことだろうに。どのようなプレゼンの末に
あの大作になってしまったのか、見本のような感じになっている。
さて即時性のニュースではどうかというと、震災や台風の
速報はメディアのフットワークが生きるとこだが、どこの
テレビ局も麻痺したかのように津波の場面を延々と流した。
いま初めてみた人の為…とは言い難い、これでもかという回数や
別角度からの映像まで大量に流していた。こうなると事実の報道
というよりも、ただただ切ないだけではないか。
むしろ映像のインパクトより現地の今と被災者の安否をキモに
据えて番組の軸をつくるべきだろう。
あげくの果てに関西テレビのセシウムさんの件となる。
テレビ局が全幅の信頼を得られないのはこうした現状から
やむを得ないのだ。子供にでも解ける問題…大人は、メディアはどのようにして
子供からの信頼を勝ち得るか?それは一朝一夕には行かない。
もう無理かもしれない。切羽詰まってると思う。
報道、ドラマ、バラエティ…試行錯誤は良いとしても、
崩してはならない部分をないがしろにして、ただただ放送に
傾注してしまったツケは、テレビマンにも判らないくらいに
でかいものになった。
取り返しつかないぞ…シンポジウムでは、この件を深く
掘り下げなかったらしい。自分たちの痛い部分がわかってるなら
いまさらシンポジウムなど要らない。
茶でも飲んで散会してればいいんだ。
きっと、痛くも痒くもない人達が上にいる世界なんだろう。
どこの世界も似たり寄ったりですねぇ。