「聞く耳があるものは聞くがよい」というのは聖書でしたね。
人に助けられ、人の縁に感謝の毎日です。
悩み、迷い、抽象度が落ちた時のアファメーションというか、「なかだ」は聖書を読みます。古典は栄養価が高く少なくとも聖書は2000年以上語り継がれてきた程抽象度が高いのでオススメです。
2014年の現代。
インターネットが普及し、FacebookやTwitterで魔女狩りが行われるようになってきたり、目に観えない裏の裏に観えない暴力システムとしての狡猾な支配があったり、情報が氾濫する世界で、誰の言うことを聞き、信じるか?で大きく人生が左右されることもあります。
そんなサバイバルというか洗脳世紀に、、、いつ唐突に人生という旅が終わっても後悔しないように生きたいものです。まだ死ねないとは思いますが、特に、命がけでヒーリングをしているとそう思います。
そんな中、盲人が盲人の手引きをして穴に落ち込まないためというか、あなた方の律法には何と書いてあるか?というか、迷ったときは定義に戻ると言うか、重要です。
(引用開始)ルカによる福音書 6章39節~42節
6:39
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
6:38
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。
6:39
イエスはまた一つの譬を語られた、「盲人は盲人の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。
6:40
弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。
6:41
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
6:42
自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。
(引用終了)
一節一節が珠玉の文章で、この文章を写経できるくらいまで身体に落とし込みたいものです。
穴はアナでも映画「アナと雪の女王」ではないのですが、最近は小さなプライドや肩書きに縋らなくてもいいというか、背伸びをしないでいいというか、let it be(ありのまま)ではなく、let it go(自然に進みいく感覚)に気付き、いつまでも自分の目のチリを外していくことだと深く体感しました。
自分の抽象度を上げろということなのですが、まさにアナに落ちていましたね。笑
気功技術や小さな系という歯車を我々はぼーっと1万回やればいいのではなく、分かったという体感、抽象度が上がった体感、身体に落とし込めた体感があるまでやることが重要でした。
量が質に転化していきます。
我々は古武術やバレエを知っています。
その時の感覚は使えるのではないかな?と思います。
例えば、バレエでいえば、教師のようにエレガントに踊れるようになるまで踊らなければ身体に落とし込んだとは言えないのではないでしょうか?
武術でいえば、師匠のようにうまく投げ飛ばす事ができなければ身体に落とし込んだとは言えないのではないでしょうか?また、1000回投げられて身体で覚えることではないでしょうか。
お勉強でいえば、他人に整合的に説明ができるレベルまでいかなければ分かったとは言えないのではないでしょうか?
お互いを高めあい、目指す方向、本当に望む未来のためにエネルギーを使っていけたら最高ですよね。
最後に、「なかだ」の好きな漫画「ハンターハンター28巻」でのハンター協会の会長ネテロVS王の戦いからタイトルを引用しておきました。
また、『そんなんじゃねえだろオレが求めた武の極みは』ということです^^
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