「なかだ」がスピリチュアルを批判するのは、一言でいえば、ゴール設定が入っていかないからなんです。
ゴール設定ができれば既存のフレームが崩れていくのですが、スピリチュアルというのはパソコンのOSにウイルスが感染して新しいソフトやOSがインストールされない状態と考えて頂ければ、分かりやすいかもしれません。
今ブログ記事やセッション中にウイルスを退治している状態と考えて頂ければと思います。^^
ブログで出てくる釈迦の教えや天台智顗の止観、それらは決してスピリチュアルの甘美な思考停止を促すものではなく、前頭前野をフル活性化させて徹底的に考え続けることを説いていました。
ろうそくの炎の一点を見つめさせて本人のコントロール不能な変成意識に落とし込む凝視法や思考停止の訓練をさせて虚空を観させたり、スピリチュアルのような思考停止はドラックのように短期的に観るとラクです。しかし、長期的に観るとあなたを不幸に陥れるものではないか?と思います。
(セッションでお伝えした凝視法や悪い変成意識に入らないようにする訓練は続けてくださいね。)
ですから、可笑しいと感じているから、「なかだ」のコミュニティを訪れているのだと考えています。あと、もう少しです。
何度も書いていますし、講座でも毎回話をしている気がしますが、スピリチュアルの問題点は思考停止することで同じ系(システム)をグルグルと回ることです。信と不信のパラドックス(パラドックスとは、矛盾のことです。)や図2のように、横滑り、知識が積み上がっていかない、同じ場所をラットレースのイメージです。


このブログでも良く出てくる不完全性定理により完全な記述は元々できずシステムのエラー(バグ)は必ず出てきますが、自分の脳を使わず思考停止をして信じるものは救われません。
ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサでさえ、死の直前に神はいない!と言って物議を醸し出しましたが、彼女はどのような気持ちだったのでしょうか。出来る限り、論理を理解することが大切です。
そして、科学的態度とは、自分自身の打ち立てた理論すらも疑い続ける態度のことです。安心して思考停止をすることでも、知識の欠如を棚に上げ、教義を信仰し、勉強を怠る態度でも、言い訳をすることではありません。
心と脳と身体は違う抽象度で同じものを指しています。身体的に言えば、センター(正中線、軸)が曲がっていると指摘しましたが、センターが立たなくなったり、足腰がぐちゃっと潰れてしまっているイメージ、もしくは、フワフワとした幸せ感や地に足が付いていないイメージです。
先日の大阪の講座でお話をしましたが、アートの定義とは、他人の評価を気にしない自己の表現。ファッションの定義とは、他人の評価を気にする表現とするならば、
(引用開始)スピリチュアリズム 著 苫米地英人
ひとたび仮想評価を始めると、どんどん新しい評価を加えて、どんどん自分の本質から離れていきます。いつのまにかその評価の方が主となって、今度はその仮想評価にとって自分がふさわしいかどうかの問題に変ってしまい、本末転倒してしまったが最後、また新しい「評価」が加わるごとにそれにふさわしいように自分を変えなければならないということになります。表現する主体であったはずが「評価」によって揺さぶられるという馬鹿げたことになってしまうのです。
要するに、「あれを手に入れたい」と思う自分は、なぜそれを欲するのかを究極的に突き詰めて考えなければ、いつまでも揺れ動くしかないということです。それは、先に言った「終わらない自分探しの堂々めぐり」と同じです。「なりたい自分」を探し求めれば求めるほど本質から遠ざかっていき、そこに生じた不安や心の空洞を埋めるのは、神秘的な体験、超人思想への憧れをかき立てるセラピストやスピリチュアル・カウンセラーなのです。
実は、スピリチュアリズムとは一見アート的に見えて、似て非なるものです。できの悪いファッションのような気がします。端的に言うと、御都合主義のかたまりなんです。
(引用終了)
一度は自分探しをするとよいとは思いますが、次の段階として、終わらない自分探しはもうおしまいっ!ということで、絶対的な自我はないということをこちらで書きました。
自我=評価関数で分からないという人は、自我は川の流れのように移り行くものと身体に落とし込むと良いです。自我とは情報状態であり、書き換わっていく、書き換え可能なものなのです。
ですから、自分探しをしてインドに行ってもインドに自分の居場所ややりたいこと(want to)は多分ありません。これはほんとうにwant toか?と疑い続ける思考を持ちつつ、目の前のやりたいと思ったことに全力で取り組むことです。
で、自分探しのポイントは、自分を徹底的に観るor物理宇宙を徹底的に観るのどちらかです。抽象度を上げるとこれは同じことを言っています。
have to(しなければならない)ならば、自己責任でやめればいいのです。
1つ1つの選択をあなたがしていくことです。
(完全情報はもちえませんから、部分情報の中で、今この瞬間にベストな選択をすることです。)
小難しい理論的な話はおしまいっ!重要なのは、あなたの世界が変ること。やりたいことが見つかること。
クライアントさん用に知識は重要なので、書いておきました。
(引用開始)miwa Delght(楽しませる)より
誰に言われた訳じゃない 人は誰かを愛するもの
誰に決められた訳じゃない 未来は自分で掴むもの
大空高く帆をかかげ今進もう 胸の炎いつまでも絶やさぬよう
言葉は届かなくても 伝えたいんだ
Delight Delight Delight 信じたい
振り向かずに 進め all for wish 果てしない旅へ
あなたが望むのなら(きっと続けられるわ)
私を望むのなら(どこまでも続けるわ)
未来を描いて 今を生きられるように
(引用終了)
信じるという単語が出てきましたが、自分のDelightな未来を描いて(確信)ください。ドウシテも自分を信じられ(確信)ない方は俺の信じるお前を信じて(確信)ください。
@最近は自我を変えて、J-POPや弾き語りを楽しんでいます。笑 人の役に立つこと(ファッション)や、アート的に家で弾き語る。それが僕のwant to。
Delight!Delight!Delight!ということで、応援しております。^^
スピリチュアリズム/にんげん出版
