元治元年4月野山獄での高杉晋作の漢詩です。
この獄中での上海時代の思いは、イギリス、アメリカにいいように使われている哀れな支那人の姿でした。それにしても、港に煙を吐きながら行き来する数百の蒸気船は、晋作がみたこともない光景であり
攘夷論だけの狭い世界観では、どうにもならぬと実感させられたのです。支那人はことごとく外国人の使役である。 英・仏人が街を歩くと、清人はみな傍らに道を譲る。 実に上海の地は支那に属すというものの、英仏の属領といってもいい。 と日記にも書いています。攘夷論から外国船を攻撃し、外国4ヶ国連合艦隊に完膚なきまでに叩きにめされた長州藩は、高杉晋作を赦免して、講和条約の代表にします。
このときから、高杉晋作は “彼の長を学ぶ” の決心から、外国の銃砲、軍艦を手に入れて倒幕へ変じ
ます。これらのことは、晋作が上海留学で得たことであります。坂本龍馬に与えたピストルも上海で
買ったものです。また、船で一緒になった薩摩の五代友厚は、後に大阪商業界を育てた恩人です。
上海滞在は僅か2ヶ月でしたが、激動時の上海事情を見たことで、日本の将来あるべき姿をだれよりも
はやく感じ取り、晋作が信念のもとに維新に向けて活躍する原典とも言うべき漢詩です。
《2021.8.25 周南市 東郭》
高杉晋作
因中作 高杉晋作
單身嘗到支那邦 単身かって支那邦に到る
火艦飛走大東洋 火艦飛走大東洋
交互漢韃與英佛 語を交ゆ漢韃(かんたつ)と英仏と
欲捨我短學彼長 我が短を捨て彼の長を学ばんと欲す
元治元年4月7日 獄中の作


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