山口市吉敷の龍蔵寺は、大イチョウや牡丹で有名で、わたしも季節毎に参拝しています。
今年の大イチョウも素晴らしい黄葉になると思います。
でも、牡丹や紅葉の時だけ参拝するのも悪いような気がして、今回は龍蔵寺の秘仏など
発信したいと思います。
私の崇拝する弘法大師空海が生まれる前の時代、698年役行者小角が護摩供をして熊野権現を
祀り、741年には行基がここで千手観音を彫り七堂伽藍を建てたと伝えられていますので、
実に由緒ある場所と言わなければなりません。日本の歴史では飛鳥時代から奈良時代に移る時
代ことで、周防の吉敷という名前がやっと出てくるころです。
《2017.9.20 周南市 東郭》
山峡の瀧が鼓の音を奏で、樹木が鬱蒼と全山を覆い、まさに秘境の霊域・・・山口市最古の
名刹として知られる。千三百余年前、文武二年(六九八)神変大菩薩と崇められた僧役小角
が、豊後国彦山から掛錫し、奥之院の岩窟に熊野権現を観請し、秘法の護摩供を厳修され
「龍の蔵」と名付けられたことに始まる。次いで天平十三年(七四一)行基菩薩がこの霊域
に溜まり、自ら千手観音を彫り、寺を建て奉安し「龍蔵寺」と名付けられました。古来山岳
修行の行場であり、絶好の仙境として文人墨客も此処に遊ぶ者多く、現在にその名残りを留
めている。国の天然記念物・樹齢約千年、日本一の高さ(50m)を誇る大銀杏の、紺碧の空
に映える美しさ・・・落葉の金色の絨毯。
全山むせかえる新緑、燃える紅葉、その美しさは、涸れることのない水量豊かな名瀧と共に
一種の荘厳さを持つ・・・。
大内氏、毛利氏の時代には、その守護寺として保護されると共に、一般庶民の深い進行を集
めた。一時期においては脇仏に奉安する馬頭観音の崇敬が驚く、観音観音浄土の霊験を顕し
た。多くの寺宝と伝説を持つ名古刹である。《出典:龍蔵寺HP》

観音堂 馬頭観音
馬頭観音は梵名をハヤグリ心といい、何耶掲喇婆・何耶掲哩縛(はやぐりぶ)などと音訳す
るが、漢訳して馬頭(ばとう)という。この尊はインド教のビシュヌ神(無量壽仙)の一化
身にその源をもつといわれている。現在ではただ変化(へんげ)観音の一尊として信仰され
ているが、とくに密教では馬頭明王とも呼び、この他馬頭威怒王(ばとういどおう)、馬頭
金剛、大力持明王(たいりきじみょうおう)などとも呼ばれ、八大明王中の一尊としてもあ
げられている。
八大明王とは、八方守護をつかさどる八体の明王のことをいい、八大菩薩の変現したもの
で、降三世(金剛手菩薩)・大威徳(妙吉祥菩薩)・大笑(虚空蔵菩薩)・大輪(慈氏菩
薩)・馬頭(観自在菩薩)・無能勝(地蔵菩薩)・不動(除蓋障菩薩)・歩擲(ぶちゃく=
普賢菩薩)の明王をいう。また一説に、不動を除き、穢積(えしゃく)金剛(鳥枢瑟麼)を
加えて、これらを不動の眷属とするものである。
その尊形については、経典によって異説が多く、一面二臂・四面二臂・一面四臂・三面四
臂・三面八臂・四面八臂などがあり、その性格から相好には忿怒的なものが多く、頭上に化
仏のほかに馬首を置くように説くものが多い。また、馬頭人身の像が胎蔵図像には掲げられ
ている。このようなことから畜生道の尊として、とくに江戸時代から馬の保護神として広く
信仰されるようになった。《出典:龍蔵寺HP》

伝 雪舟の絵馬
観音堂内の正面に、一枚の絵馬の額がある。
古くから画聖雪舟の作といわれたもので、あまり見事であるために、この馬は夜な夜な脱け
出しては付近の田畑を荒らすので、とうとう雪舟にお願いして手綱をつけてもらったため、
それからは出なくなったという伝説がある。《出典:龍蔵寺HP》

チシャノキの欄干とは自然の不思議ですねぇ~

チシャノキは、すっかり苔に覆われて木肌も判りません。

チシャノキ(萵苣の木、学名: Ehretia acuminata)は、ムラサキ科チシャノキ属の落葉高
木。和名は、若葉の味がチシャに似ていることから。また、樹皮や葉がカキノキに似ている
ことから、カキノキダマシともいう。

山門を潜って右に龍蔵寺本堂があり、このチィシャノキが欄干となって川を渡っている。

龍蔵寺本堂内陣
龍蔵寺
所在地 山口県山口市吉敷1750番地
山号 瀧塔山
宗派 真言宗御室派
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・741年(天平13年)
開基 伝・行基
札所等 中国三十三観音霊場 17番
文化財 木造大日如来坐像(国の重要文化財)
木造千手観音菩薩坐像(県指定文化財)