日豊本線で宮崎県高鍋駅付近を通過するとき、孤児の父と書いてある大きなモニュメントを
見ました。石井十次という人は岡山で孤児院を創設し「児童福祉」の父と呼ばれているそうで
す。現代でこそ孤児の救済は多くの慈善事業機関がありますが、明治時代中期の話です。
医師になるため、岡山の診療所で働いていたとき、孤児を預かったのが始めで、その数は
次第に増えてゆき、十次は医師になるのを断念し児童福祉の道を目指す決心をしました。
明治中期は、日本社会も発展を目指していたのですが、まだ、貧困に苦しむ人も多かったので
孤児も多くなったそうです。それに濃尾地震などの天災も相次ぎ、孤児を預かるのも1200人
に達したそうです。明治中期にこのような崇高な福祉活動をする人は他になくこの分野では
人道的な先駆者というべき人物です。
《2017.9.4 周南市 東郭》

宮崎県高鍋町は、現代人口が2万人の町ですが、明治以前は高鍋藩という立派な城下町でした。
領地も現在の高鍋町、川南町、木城町、都農町、日向市の美々津と串間市、宮崎市(瓜生野・
倉岡の一部)、国富町(木脇)を領有していたそうです。石高は2万7千石であり、十次の
父は下級武士でした。明治の世になって十次は、自分の道を決めなければなりません。
そこで、医学をめざし岡山甲種医学校へ入学しました。

高鍋駅にある「孤児の父」のモニュメント

石井 十次(いしい じゅうじ、1865年5月5日(慶応元年4月11日) - 1914年(大正3年)
1月30日)は、明治期の慈善事業家で、岡山孤児院を創設した人物である。その功績から、
「児童福祉の父」と言われる。アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助、山室軍平とともに
「岡山四聖人」と称される。
彼は岡山で医師を目指して、岡山医学校(現在の岡山大学医学部)の医学生として研修中で
あったが、ある孤児を引き取ったことを経緯に、信仰的覚醒から孤児事業に専念するために
医師として働くことを断念した。そして英国のキリスト者のジョージ・ミュラーをモデルに
して、キリスト教信仰に根ざした岡山孤児院を創設して、生涯を孤児救済に捧げた。岡山孤
児院はすでに存在しないが、その流れをくむ石井記念友愛社(宮崎県)と石井記念愛染園
(大阪府)が、各種の福祉活動をおこなっている。《出典:Wikipedia》

高鍋藩の第6代藩主秋月種美の長男が第7代藩主秋月種茂です。次男は、米沢藩へ養子に行き、
米沢藩9代藩主となった上杉治憲(鷹山)で江戸時代屈指の名君といわれている人です。
長男の種茂も明倫堂を作るなど名君でしたが、父の種美の教育が名君を生み出しました。

高鍋大師
持田古墳群の霊を慰めるために故岩岡保吉翁が開山。八十八ヶ所札仏と岩岡氏自身が刻んだ
石像が700体以上あり、なかには6メートルを超える巨大なものもあります。町北部の丘陵地
に位置し、日向灘も一望できる絶景地。《出典:高鍋町観光協会》
