周南88ヶ所霊場の一つ、第18番政所大師堂の落慶法要を2017年3月13日に行うことが出来ま
した。江戸時代から続いているこの地方遍路も時代の流れと共に次第に忘れられてゆくのが、
現状です。周南88ヶ所霊場を主宰されている閼伽井坊(下松市末武上)は、和銅二年に宇佐八
幡宮の分霊を祀った花岡八幡宮の社坊ですが、9ヶ寺あった社坊も現在は閼伽井坊だけに
なっています。閼伽井坊は真言宗御室でご本尊は虚空蔵菩薩さまであります。
昨年の6月、この大師堂基礎石垣の大きな各石が道路に転げ落ちていて、調べてみますと石組み
が崩れかけています。そればかりでなく、大師堂が乗っているブロック製の台も傾いてひび割
れており、このまゝ倒壊するということで、閼伽井坊さまと連絡を取り再建する計画が持ち上
がりました。再建については、大工さんの意見で全面的に立て直すこととし、政所地区の
皆さんにご寄付を仰いだわけです。政所地区の42名の方々から集まった資金を元に、地区の
世話人と大工さんの協力で、発案から9ヶ月掛かりましたが、政所大師堂は全面的に改築する
ことが出来ました。

周南88ヶ所第18番政所大師堂完成
今年も春彼岸の遍路が閼伽井坊様先導で3月18日に大勢の方が巡礼においでになりました。
3月13日に落慶法要を閼伽井坊にやっていただき、春彼岸巡礼によくやく間に合って、
世話人一同ほっとしたものです。閼伽井坊(住職三池孝道)様は、前住職の三池孝尚氏に
お願いして扁額に恩山寺の揮毫をして戴きました。
政所地区皆様の協力に依って、周南地区88ヶ所政所大師堂恩山寺が出来上がって、
みんなの意見が纏まれば、いつか四国霊場第18番札所母養山恩山寺へバス旅行参拝に行っても
いゝと秘かに思っていたのですが、この企画は7月2日に実行することになり、20名で参拝
バスを仕立てて恩山寺に行って参りました。

目的の四国霊場第18番札所は、徳島県小松島市にあります。
朝、改築した政所大師堂前に集合参拝して6:30′出発です。
恩山寺に到着したのは、11:50′でしたから、所要時間5時間20分でした。

国道55線を南下し小松島市を通っていると、右側の山に義経の像が見え始める。
それを過ぎた処を右に入ると、恩山寺に行ける。恩山寺参拝者にとっては、格好の
目印になります。

旗山の義経騎馬像

小松島市芝生町には、「旗山」と呼ばれる小山がある。源平合戦の折、屋島の平家軍を討伐するため寿永4年(1185)2月18日、源義経の軍勢が勝浦尼子ヶ浦(現在の小松島市)に上陸した。その折、この「旗山」の山頂に源氏の城旗を掲げ兵士の士気の高揚を図ったと伝えられている。まさに「旗山」の語源である。現在山頂には日本一の高さを誇る6.7mの義経騎馬像が建てられ、夜はライトアップされている。第18番札所恩山寺の山々を背景にした勇姿は美事な歴史的農村景観である。《出典:徳島県》


恩山寺山門

ビランジュ


「ビランジュ」は「バクチノキ」とも呼ばれており、日本の太平洋岸や台湾など暖地に分布
する常緑樹で、灰褐色の樹皮がはがれ落ち、紅黄色の木肌があらわになっているのが最大の
「特徴」です。ばくち打ちが賭け事に負けて身ぐるみをはがされた様子にたとえてそう呼ば
れます。
恩山寺は四国八十八カ所霊場の第18番札所です。修行中だった弘法大師を訪ねてきた母
(玉依御前)に対して、女人解禁の修法を行い迎へ入れ孝行を尽くしたといいます。ビラン
ジュはそれを記念して大師自ら植えたものと伝えています。

バスに乗って右側は歩き遍路の道で、石仏が出迎える。


恩山寺麓にバス駐車場があり、そこから徒歩で上る。

修行大師

手水を使い、石段を上る。

石段の右から上がってもよい。

政所大師堂信者参拝団

最初の正面石段を上がると、左に大師堂と玉依御前剃髪所がある。

弘法大師像

本堂への石段を上る

脇にも無数の仏像がある。

鐘楼

恩山寺本堂
恩山寺の歴史・由来
小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。縁起をたどると、創
建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院
密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人
禁制の道場であった。十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が
入ることは許されていなかったのである。延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの
寺で修行をしていたころという。大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。だ
が、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を
成就して母君を迎えることができた。やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、
大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福
の衆生の難厄を除かん」と誓われた。弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが、江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し、
現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物であ
る。境内には玉依御前を祀る小堂があり、母君に孝養をつくして、大師が植樹した「びらん
じゅ」は、県の天然記念物にもなっている。母君を慕いつくした大師のこころが、いまも宿
っているような寺である《出典:四国霊場88ヶ所紹介HP》

本堂



本堂から登った石段を降りかえってみました。

周南88ヶ所第18番政所大師堂からの参拝団です。

〃

〃

ご本尊 薬師如来像
母養山 宝樹院 恩山寺(ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建 天平年間末?
開祖 行基 聖武天皇勅願
所在 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40
本尊真言: “おん ころころせんだりまとうぎ そわか ”

周南88ヶ所第18番政所大師堂からの参拝団です。

〃

〃

〃

〃

先達の役をお願いした青木さんに、バスの中で参拝作法を教わりました。
作法やお経・ご真言などはプリントして配って戴きました。
”みんな接待ですよ!”と仰っていましたが、四国遍路では特に接待の伝統が
受け継がれています。”功徳を積む”ということが参拝の精神なのだと思います。
※私も、四国88ヶ所霊場の第18番札所の紹介は3度目になりますが、咲いてる花々も
違い、出逢う人も違って、その度に新しい発見があります。今回の20名参拝団も
その殆どが70歳以上です。政所大師堂完成記念参拝として大変よかったと思っています。
一度は、四国霊場遍路を経験してみたいと多くのみなさんが思っておいでですが、
ツアー会社の企画は、行程が積んでいて年寄は団体についていけません。恩山寺でも
一番最初に問題になったのが”果たして石段が登れるだろうか?”という体力的なこと
でした。しかし、時間がゆっくりあり、急がなければ足腰が悪くても皆さんの協力で
石段を上ることも出来ます。