山口県柳井の遠崎という処に妙円寺が在ります。
国道188号線を通るとき、下の写真のような銅像が近年建立されていて、すぐ分かり
ます。幕末の海防僧 月性です。よく、薩摩の月照(げっしょう)と混同されますが
どちらも尊王攘夷の僧という共通点があります。薩摩の月照は、文化10年生まれです
が長州の月性は文化14年生まれです。ところが、どちらも安政5年に病気と自殺で
他界しています。どちらも、幕末史に残る人物ですが、郷土の偉人として、柳井の
海防僧 月性(げっしょう)上人を書いてみました。
《2017.4.26 周南市 東郭》

月性(げっしょう)上人
僧 月性(1817~1858年)
幕末に海防論を唱え、「海防僧」と呼ばれた僧で柳井市遠崎の妙円寺で生まれた。
15歳から九州に遊学。長崎でオランダの軍艦を目撃し、威容に衝撃を受けた。京都や大阪で
も学んで帰郷し、同寺の境内に私塾「清狂草堂」を開設。奇兵隊第3代総督の赤禰武人らを
育てた。長州藩に建白書などを提出し、農兵の重要性や外国船に対する攻撃、討幕を主張。
松陰は、討幕は不可能だと否定し、国内で争うべきではないと月性に書き送ったという。そ
れに対し、月性は半紙1束と薬10品を松陰へ。松陰は月性の心遣いに感激し「著述の用に供
す。疾病の用に供す」と礼状を送り、これを機に2人は厚い信頼で結ばれていきます。月性は
「男児志を立てて郷関を出づ」の漢詩を詠んだことでも知られる。松陰から敬われ、松陰の
門下生らも月性の講話を聴講し、西の松下村塾、東の清狂草堂と称されたという。

将東遊題壁 将に東遊せんとし壁に題す
《釈 月性》
男児立志出郷關 男児志を立てゝ郷関を出ず
學若無成不復還 学若し成る無くんば復(また)還らず
埋骨何期墳墓地 骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地
人間到処有青山 人間(じんかん)到る処青山有り

月性上人の ”青山” は、墓所とする山の意で、骨を埋めるべき場所は、何処にでも
あるということです。唐の李白も ”青山” を使っていますが、これは青々とした草木
の山です。
送友人 友人を送る
《李白》
青山橫北郭 青山北郭に橫たわり
白水遶東城 白水東城を遶(めぐ)る
此地一爲別 此地一たび 別れを爲(な)し
孤蓬萬里征 孤蓬(こほう)萬里に征(ゆ)く
浮雲遊子意 浮雲(ふうん)遊子(ゆうし)の意
落日故人情 落日故人の情
揮手自茲去 手を揮(ふる)いて茲(ここ)より去れば
蕭蕭班馬鳴 蕭蕭(しょうしょう)として班馬(はんば)鳴く
【語句】
北郭 街の北。
白水 川の水面がキラキラと輝いているさま。
東城 街の東側。
孤蓬 風に舞う蓬。
遊子 旅人。ここでは見送られる側の友人。
故人 友人。ここでは見送る側の自分。
揮手 別れに際して手をふる動作。
茲 ここ。この場所。
肅肅 悲しいかんじ。
班馬 群れを離れた馬。「班」は別れる、離れる。