2017周南桜紀行-4 | 周南市 東郭の世界

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周南桜紀行の続きです。

今日の周南市は雨となりました。”これで、桜も終わりだね!?” と家人が言いましたが、満開

あった県下の桜も散るでしょうね。

今、弘前の桜開花祭りが4月22日と報じられていましたが、桜見物の舞台は東北や北海道に

移って行きます。

でも、2017年の桜も県下一斉に咲き、樹木いっぱいに花をつけた姿には、感動いたしました。

その、感動の記録と言っては力不足ですが、まだ、捨てがたい写真がありますので、ご覧頂き

たいと思います。今回は、徳佐八幡宮の枝垂れ桜です。

                            《2017.4.17 周南市 東郭》


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           徳佐八幡宮の右側にある稲成神社





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                 藪椿が咲いています。






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          徳佐八幡宮拝殿には、多くの人が参拝しています。


徳佐八幡宮

祭神

八幡神、応神天皇、神宮皇后、姫大神ほか       
大国主命(おおくにぬし)、大己貴命(おおなむち)、少彦名命(すくなひこな)ほか

御神徳

護国・護卿・五穀豊穣の神
強運を呼び、家族、夫婦、親子の関係を強める神
厄除け・災害よけ、安全の神、縁結びの神、商売繁盛の神

由緒

大内満盛公が、宇佐八幡宮から平安時代末の寿永元年(1182)八月十七日勧請しました。

今の社殿は天明八年(1788)に藩主毛利綱広公のカにより再建・改築され、3体の神輿も

奉納されました。以来一に三ツ星の毛利紋が社紋となりました。

毛利歴代藩主の崇敬が厚い神社で、戦前は阿武郡で唯一の県社でした。

境内には荒神杜、稲荷社、淡島社があります。




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徳佐八幡宮の「しだれ桜」


参道のしだれ桜は、文政八年(1825)に浪速から取り寄せたもので、古くから親しまれてい


る日本古代種の彼岸系の「しだれ桜」です。

現在、参道370メートルには140本の桜が垂れ下がり、参道脇の境内公園には120本の

ソメイヨシノ、大島桜がある。





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宮司の渡辺一秀氏は、今年も参拝者へお祓いをして下さいます。もう、喜寿ですよね。

私も顔見知りになって、”うちの処の桜が綺麗なので見てください!” と薦めて下さいました。

宮司の渡辺家も非常に由緒があります。


由緒沿革

 
鎌倉時代の寛元二年(1244)につくられた「徳佐八幡宮草創之事」(古文書)には、次のよう


に書かれている。即ち、百済国聖明王第三子琳聖大子の第十四代の孫にあたると云われる

大内満盛公が、平安時代末期の寿永元年(1182)に、豊前国宇佐八幡宮から分霊を勧請し、


徳佐郷丸山に奉祀した。当時の当郷の守護久守隼人佐源光盛家(現宮司渡辺家の先祖・久

守・諏訪・渡辺と改姓)は、その後代々神明に奉仕して今日に至っている。

現社殿は、藩主毛利綱広公の造営になるもので、延宝九年(1681)には新神輿三体を萩で造ら

せて奉納され、現在においても同輿を使用している。

当社は鎌倉期より大内氏、続いて毛利氏の加護を厚く受け、戦国期には渡辺家の戦功に対

し、毛利元就公より大宮司職と馬具を贈られている。《出典:山口縣神社誌》




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             枝垂れ桜を見物する参拝客





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横の公園広場には、地元の売店が出ている





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しだれ桜をご覧ください。






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渡辺宮司のお屋敷に寄せて戴きました。






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お庭のしだれ桜は、ほんとうに見事です。




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次回へ続きます。