【風景写真】みなとオアシス“ゆう” から周防大島を眺望 | 周南市 東郭の世界

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岩国市由宇町の「みなとオアシスゆう」は海水浴場や公園・交流施設などがあり国道188
 
線を通ると必ず寄って見ます。夏には、此処の海水浴場に米軍岩国基地の家族も遊びに来て
 
います。この直ぐ右に周防大島がありますが、慶応2年6月7日第2次長州征討大島口の戦
 
いが始まった海です。幕府軍は、合計5隻の軍艦で乗り込んで来ましたが、最大の軍艦富士
 
山丸は上関や安下庄・大畠・由宇の村々に次々艦砲射撃を行ない、8日には大江丸と共に、
 
松山藩兵を乗せた船団がやって来て、由宇村や安下庄村を焼き尽くしました。この頃、幕府
 
軍の八雲丸・翔鶴丸・旭丸が合流し久賀村を艦砲射撃の標的にしました。12日には、久賀村
 
を占領し、同時に周防大島を全体に戦火が広がって行きました。この日丙寅丸に乗った高杉
 
晋作等は遠崎村に到着し、夜間に蒸気機関の火を落とした幕府軍艦を縦横に砲撃したと伝え
 
られています。これが契機となって幕府軍艦は引きさがり、第二奇兵隊の蜂起に依って周防
 
大島や由宇村などの沿岸は長州藩に奪回されます。ここにも、明治維新に関わる歴史があり
 
ます。それから77年後の昭和18年8月17日聯合艦隊主力部隊戦艦(大和・長門・扶桑)や
 
空母大鷹・巡洋艦3隻・駆逐艦部隊が柱島泊地に居ました。周防大島との間の海域で目の前
 
です、多分、それらの艦隊も見えたのではないでしょうか。《2016.11.8 周南市 東郭》
 
 
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《CanonEOS70D 1/2000ss f 5.6  +1/3 iso250 F=300.0EF70-300/11.4/由宇町