閑谷学校のあいうえお論語-「す」 | 周南市 東郭の世界

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論語 先進第十一
 
【原文】
 
 
子貢問師與商也孰賢子曰師也過商也不及
zǐgòngwènshīyŭshāngyĕshúxiánzǐyuēshīyĕguòshāngyĕbùjí
 
曰然則師愈與子曰過猶不及。
yuēránzéshīyùyŭzǐyuēguòyóubùjí
 
【読み下し文】
 
子貢問う、師と商と孰れか賢れる。子曰く、師や過ぎたり。
 
商や及ばず。曰く、然らば則ち師愈れるか。
 
子曰く、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。
 

 

【語句意味】
 
子貢(しこう) ・・・孔子の弟子、賜。
師(し)・・・孔子の弟子、子張。
商(しょう)・・・孔子の弟子、子夏。
孰賢(いずれかまされる)・・・どちらの人物が優れているか
愈(まさる)・・・勝る、優る

 
【東郭解譯】
 
子貢が(孔子先生に)問いました。師と商はどちらの人物が優れているとお思いですか?
 
孔子曰(のたまわ)く、師(弟子の名)は、やり過ぎである、商(弟子の名)は、
 
もう一歩及ばないところがある。子貢は更に訪ねて、それでは師のほうが優れていると
 
お思いですか?、孔子曰く、やり過ぎとか出過ぎというのは、及ばないよりも更に始末に
 
負えないものじゃ!と云われています。中国語の訳では、孔子の教育の周礼についての
 
問答です。孔子の心酔する周王朝(周公旦)の儀礼について、いちいち細かく礼を行なう
 
師とあまり礼を守らない商の二人の人間的な修養について答えたものです。
 
孔子の徳の概念は、中庸でバランスの取れた考え方が基本になっていると思われます。
 
アリストテレスも同じ趣旨のことを唱えたと云われますが、偏り過ぎない平衡感覚を持つ
 
と云う意味です。でも、自分が中庸であるかとか判断は難しいことだと思います。すこしで
 
も全体像を見極めるべく修養するしかないのかも知れません。
 
                          《2016.2.8 周南市 東郭》