象鼻ヶ崎の修業大師 | 周南市 東郭の世界

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山口県室積の象鼻ヶ崎へ行く遊歩道を上った一角に、この弘法大師の像がある。
 
象鼻ヶ崎に先端には、大師堂があり元禄年間までは、ここに海蔵寺があった。
 
弘法大師ゆかりの地としているので、当地に巡錫(じゅんしゃく)されたものであろう。
 
弘法大師空海は大同元年(806年)唐から帰国する。遣唐使のなかの私度僧として留学した
 
もので、20年の契約であった。”虚しく往て満ちて帰る” の言葉を残しているように、
 
青竜寺の恵果和尚から密教の阿闍梨の資格を僅か2年に全て授けられるほど、優秀であった。
 
恵果から、真言密教を日本で広めるよう託されて、日本において空海がこの理論を確立し
 
今日に至っている。朝廷は、2年で帰った空海に不信感を抱き、大望がある空海を大宰府に
 
留め置き入京をしばらく赦さなかった。大同4年ごろ、京都高雄山にはいるが、その間の
 
具体的行動は、伝えられていない。また、伝えることが叶わなかった事情もある。
 
しかし、帰国した空海は、真言密教を日本で開花させる使命があり、おそらくこの時
 
西日本各地を巡錫したものであろう。四国霊場88ヶ所のお寺は、この年代に空海創建と
 
しているお寺が多いのもその証拠であろう。
 
現在、麓の普賢寺から象鼻ヶ崎88ヶ所として、仏像が置かれ付近の人の散歩道とも
 
なっている。
 
 
                         《2016.1.15 周南市 東郭》
 
 
 
 
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