山口県山口市徳地にある重源の郷は、東大寺再建の立ちあがった俊乗坊重源上人を地元の
立場から紹介しています。建久6年(1195年)大仏殿再建ですから800年以上前の話です。
当時の日本でも徳地の杣程建築用の桧材が纏まっている森林は有りませんでした。柱と
なる桧は、高さ39m、幹直径1.6mもの巨木が必要だったのです。全部で約1,000本伐り
出しました。原木ですから恐らく1本あたり50~60㌧はあった筈で、これを山奥から伐り
出して周防灘まで運ぶという事業は現代人の技術をもってしても相当困難です。まして
すべてが、人力と馬力(牛は使っていない)であり、道具と云えば、斧とコロと滑車と麻縄
くらいだったでしょうから、よくぞ東大寺完成までやり遂げたと驚きます。ここで働く人は
数千人にもなり杣文化も生まれたといゝます。当時、最大の国家プロジェクトは人々の熱意
によって完成しました。俊乗坊重源上人の熱意をもってすれば、東京オリンピックのメイン
スタジアムの建設などは、苦もなく出来るでしょう。
そういう人達の心を大切にして行きたいですよねぇ~
《2015.10.12 周南市 東郭》
徳地の杣と俊乗坊重源上人(徳地町)

重源上人年譜

伝承館内

重源上人坐像

東大寺 南大門

【東大寺南大門】実写
現在の奈良の東大寺・南大門を撮って来ました。

南大門

俊乗坊重源上人1199年上棟、金剛力士像は運慶・快慶・定覺・湛慶。

南大門の木組み

金剛力士像(吽形)

金剛力士像(阿形)

東大寺大仏殿(現在)

東大寺内部の木組み

周囲3.6mの柱の展示

大仏殿柱の基礎部分
【文化伝承館】↓

重源上人が携った法林寺(旧安養寺)・月輪寺薬師堂・岸見の石風呂

源徳寺の扁額
重源上人が東大寺再 建に際し、徳地の杣に入り佐波川を利用して用材を筏で運ぶ途中、 筏 いかだ に乗って指揮をしていた弟子の 蓮花坊が筏もろとも淵に沈み非業の死に至った。蓮花坊の供養のため重源上人を開基として一宇(蓮花寺)を建立した。後年、寺が大破していたため寛永元 年(1624)に野谷村大原に移し源徳寺と寺号を改めた。

南大門の金剛力士像(写真)

巨木の写真

巨木の写真

巨木の写真

巨木の写真

俊乗坊重源上人一代記

百日紅の花(歓迎館前)