萩城の天守は5層5階の複合式望楼型(天守の北側には付櫓を接続した複合式の縄張りと
2層2階の入母屋造の基部に3層3階の望楼を載せた構造)で、高さは約21メートルで
あった。外壁は白漆喰の総塗籠で、窓は銅板を貼った突き上げ戸を備える。
明和5年(1768年)の修理では赤瓦に葺きかえられた。また、高さ6間、約11メートルの
天守台は、非常に勾配の緩やかな裾から上にいくに従って急勾配に立ち上がっている。
これは、城の築かれた土地である三角州の地盤の強度を補うため、底面を広げることで荷重
を分散させる工夫である。《明治初期小野為八撮影をCG加工(東京岩佐大三郎氏)》
