【花燃ゆ】第30回「お世継ぎ騒動」みわちゃん頑張れ! | 周南市 東郭の世界

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高杉晋作像
 
 
 
 
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第30回 ”お世継ぎ騒動” が7月26日放映されました。
 
主人公「ふみ」の井上真央さんは萩城の奥女中となって、夫久坂玄瑞がどうして死ななけれ
 
ばならなかったのか、家族と平和な暮らしを夢見ていた夫婦の夢はなぜ打ち砕かれなければ
 
ならなかったのか?解明しようとする「文改名みわ」さんの健気な萩女の真骨頂が演出され
 
ていて、複雑な奥御殿のやゝこしさを除けば筋的にはいゝ番組に仕上げっていました。
 
禁門の変で敗北し朝敵の汚名を着せられた長州藩は、またしでも俗論派が頭をもたげ、
 
藩の主導権を握ったのは、椋梨藤汰です。そして、その姿勢は幕府に恭順を示すことで、
 
長州藩を存続させようとするものでした。俗論派の方針は、その主旨に従わぬ攘夷派
 
の粛清であり、三家老の切腹やその責任を感じて自害した周布政之助政務役なき後の
 
桂小五郎や高杉晋作の拘束・断罪でありました。ドラマは、その高杉晋作をめぐって
 
展開していきますが、椋梨藤汰の野望を察知した「みわ」は、10月27日の松陰命日に
 
高杉晋作が墓参りする危険を知らせようと、禁止されている手紙を届ける案を画策し
 
それが成功するのです。世子である元徳と正妻「銀」の間にはその時子供が出来ていません
 
でしたが、正妻銀に「おはぎ」を作って貰い元徳を喜ばそうとする作戦です。そのことで
 
奥女中の技術指導をした「みわ」は、お菓子が良く出来て気を良くしている正妻銀に托して
 
更にそのお菓子を吉田の家族にも届けるのです。正妻の作った方のお菓子は、椋梨淘汰の
 
意を受けた役人たちも取り調べが出来ず、手紙が無事高杉晋作に届きました。
 
「おはぎ」で元徳と銀のなかは、甘いものとなり、銀は待望の懐妊をいたします。
 
銀の懐妊は、すなわちお世継ぎを身ごもったという立場なので、その母親の立場も途端に
 
奥第一の権力を持つということになります。椋梨淘汰の調べが奥御殿にも影響し「みわ」
 
が罪に問われようとしますが、その時「銀」が出て来て、”みわ は私の女中じゃ!、
 
勝手な真似は許さぬ!”と言ったものですから、総取締の都美姫も頭があがりません。
 
その時の長州藩の奥御殿の一番の役目は、世子の後継ぎが出来て毛利家を存続させる事に
 
ありました。銀姫の生んだ子は男の子で、幼名を興丸、毛利宗家29代当主毛利元昭です。
 
明治時代には、華族・貴族院議員・公爵であり、昭和13年まで生きておられます。
 
ところで、高杉晋作はこの時、最大の窮地で立たされていました。それも絶体絶命の
 
ピンチです。君命により連合艦隊の講和条約を成功裏に導いたことが、攘夷派の反感を
 
かったのです。外国を仲良くするのはもってのほかという義憤に溢れた連中は、晋作の命を
 
狙い始めていました。一方、政務役の椋梨藤汰の俗論派も高杉を斬れという命令を出しまし
 
た。高杉晋作のやる手といったら、長州からの脱出しかありませんでした。
 
 
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                NHK「花燃ゆ」の一場面
 
 
 
のちに、歴史は語りますが伊藤博文が評した「動如雷電、発如風雨!」は、これからの
 
高杉晋作の出発点でもあったのです。ドラマでは、小田村伊之助も捕らえられますが、
 
明治時代にも立派に生き「みわ」の夫にもなる人ですから殺されはいませんね。
 
ともかく、これから長州藩の明治胎動として一番核心に触れていきます。充分に痛快時代劇
 
であります。真実と虚構、戦闘技術力の新旧、政治体制の是非、学問のあり様など、本当の
 
国の力ということを検証する場でもあります。ドラマ「花燃ゆ」もこれから益々面白く
 
なっていくと思います。
 
                          《2015.7.28 周南市 東郭》
 
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当ブログ「長州歴史文化散歩」の2013.9.13高杉晋作顕彰碑全文-東行庵の風景(7)
 
漢字2,015文字の訳を投稿しています。「動けば雷電の如く発すれば雷電の如し・・・」
 
に続きます。是非、御覧戴きたくお願い申し上げます。