元治元年(1864年)3月29日野山獄に繋がれた高杉晋作は、脱藩したことへの後悔はあった
ようですが、尚、意気軒昂でした。藩主毛利敬親公や正義派の政務役周布政之助等の真意は
分らなかったとしても、国を思う信念は間違いなく”至誠通天” の心で泰然自若としていまし
た。獄での晋作は優秀な詩人でした。数多くの漢詩を遺しています。
《2015.7.17 周南市 東郭》
獄中手記
四月朔日
因中作
知思國不識思身 国思うを知りて身思うを識らず
顛蹶遂爲幽室人 顛蹶(てんけつ)遂に幽室の人と為る
不管塵間非與是 塵間(じんかん)非と是に管せず
誠心黙黙對明神 誠心(せいしん)黙々として明神に對す
【東郭解譯】
4月1日には、改めて自分を振り返っての詩作ですね。顛蹶 (てんけつ)とは、つまずき
倒れる事、失敗することです。つまり、来島又兵衛進発派の説得に失敗して幽囚となり
ました。不管は”~に拘らず”の中国語用法で「巷(ちまた)での世論の是と非に拘らず
誠心をもって黙々として明神にこの身を預けると詠んでいます。

四月三日
因中作
人世浮沈不敢休 人生浮沈敢えて休まず
弧雲流水去悠々 弧雲(こうん)流水去って悠々
因窓回首将三歳 因窓(いんそう)首を回らせば将に三歳とならんとす
上海津頭維客舟 上海津頭(しんとう)に客舟を維ぐ
【東郭解譯】
4月3日は、過去を振り返って感慨しています。26歳の青年が、”人生浮沈敢えて休まず、
弧雲(こうん)流水去って悠々”と述べている達観した表現と人生観には驚きさえ感じます。
上海を視察してからの外圧に対する晋作さんの考え方も攘夷ばかり叫んでいても、日本国は
決して自立することが出来ないと悟り、その世界情勢もつぶさに敬親公に報告しています。
こうして、もう三年ちかくも絶つのだなあ~、上海での志は、津頭に繋いで決して忘れる
べきでない・・・と改めて自分をふりかえってこれからの志を新たにしているようです。