今日は、蒸し暑いですねぇ~
周南市の気温は、31℃で湿度88%になっています。梅雨明けは、7月21日頃になるそうで
す。昨日は徳カンにゴルフへ行ったのですが、どの天気予報も雨を予想しているので、
ゴルフ場へ”今日は中止じゃろう?” と聞くと”やります!” と云うのです。

もう、ずぶ濡れになって人から笑われるのも覚悟しなければなりません。
でも、雨に降られずプレー出来たので幸いでしたが、今度は太陽も照って地中の水分を
全部引き受けてしまう程の蒸し暑さです。顔から胸から汗でぐっしょりで、雨に濡れたのと
変りありませんでした。本当に梅雨時のゴルフは大変です。それでも賞品を貰ったので
帰る時はルンルン気分であり、なんて現金な男だと思います。
斯様に、梅雨時はなかなか大変ですが、みなさまにはお元気で過されていると思います。
3日まえかPCのインターネット接続が急に出来なくなり、あちこち連絡していま漸く
繋がったので「周南市万葉の森大賀ハス池のトンボ」を乗せました。
こうしてトンボを見ていますと、そこから郷里というか生まれ育って昔から見て来た景色を
改めて思い起こします。とくにトンボには、一種の郷愁を感じます。
赤トンボやシオカラトンボ、ムギワラトンボなど普通に何処にでもいますが、この何十年
そんなことも無関心で生きて来ました。アメンボを見たときやヤマモモの熟れているのを
見たときは、急に昔 遊んだ記憶が蘇えって来ました。
私達の子供の頃のおやつは、ヤマモモやクサイチゴやぐいめ(グミ)などの野山の産物
ばかりで、ケーキや缶コーヒーなんてありませんでした。地域内のそういう”おやつ”が
有るところは、全部覚えていて、その食べ頃まで把握していました。
昔は、自分で特に育てた果物なんか以外は、所有権を主張したりしませんでしたから
子供にとっては、野や山や川の何処に行っても自由で広く魅力に溢れた世界でした。
いまは、その頃の世界を知っているお爺ちゃんお婆ちゃんが行くばかりで、子供を
連れた親御さんは、苺刈りとか釣り堀とか貝堀りとか整備された處へお金を払って行きま
す。私の子供の今から60~70年前は、釣り竿を作るのも魚を釣るのもトンボを獲るのも
鮎を引っかけるのもみんな子供同士の世界で覚えたものです。親たちは皆忙しく子供と
遊ぶ暇なんてなかったし、そういう慣習もなかったように思います。今思うとそういう
遊びの技術や伝統は、こども同士の引き継ぎから充分であったように思います。
竹トンボと作るのも子供達だけで作って”飛ばしっこ” していましたから、いまのように
学校や幼稚園などで親子が「竹トンボ」教室で作っているのを見ると、なんとひ弱な時代
になったのだろう!?と思うことがあります。多くは、時代的背景から変って来たのだろう
と思いますが、昔は親は子供の遊びにはあまり干渉しませんでした。子供は、そのサークル
のなかで遊びを想像し技術を覚えマナー迄も身につけていきました。例えば、「肥後ノ守」
なんかの小刀でも親が子供の年齢などから判断して許可するだけでした。後の小刀の使い方
は、子供達で工作する過程で身につけて行きました。安全も子供達で確保出来ていました
から怪我をするとか、人を傷つけるような事はありませんでした。ですから、鉛筆の削り
方が早くて綺麗だとかの競争や竹ヒゴを作ったりだとか芸術的な域まで達した子も沢山いま
した。昔が良かったとか今の方がいゝなんて云う気は時代の流れであり論じても仕方ないの
ですが、すくなくとも私達の子供時代はそのような環境のなかで”すくすく?” 育ったと
云う事を知っておいて欲しいのです。
話が、どうも郷愁から尻切れトンボになりましたが、時代の変遷によって切り捨てられた
子供の世界とゲームなどに夢中になっている現代の世界のどちらが健全なのでしょうね。
《2015.7.9 周南市 東郭》

ナツアカネ

シオカラトンボ

アメンボ

ツバメ(燕)
ツバメがなにか枝のようなものを銜えて飛んでいました。

ムギワラトンボ

ベニイトトンボ

シオカラトンボ

シオカラトンボとムギワラトンボ

クロイトトンボ

実は、アモモンイトトンボ・アジアイトトンボ・ホソミイトトンボなど同じようで区別が
難しいです。

全身が真っ赤になるトンボは、ナツアカネ・ネキトンボ・ショウジョウトンボがいます。