
五月七日拂暁小銃聲轟于陸上、皆云、是長毛賊與支那人と戰ふ音なる
へし予即ち以為(おもえら)く、此言信なるは、實戰を見るとを得へ
し、心私(ひそかに)かに悦ふ、官船所碇泊所謂中口、川幅两岸相隔
纔十餘町川流濁水英人云、數千碇泊及支那人皆飲此濁水、予以爲、我
邦人始來此地未地氣、加之(しかのみならず)、朝夕飲此濁水必多可
傷人、黄昏小船過官船傍旗號書軍需公務四字、可知戰爭于役之忙也。
五月八日、官吏皆上陸至道臺(上海城内官廰名)支那人應接同寮士
盡陪従予有風疾因請官吏辭陪従官吏皆出船中更閑静、頗足慰旅愁
日暮官吏歸船、同寮士皆談論城内是非、予別有志則私歎笑焉。

【東郭解譯】
高杉晋作の5月7日は、呉淞江に停めた幕船「千歳丸」で払暁に陸上から
銃声が轟いたと記していますね。その銃声を聞いてみんなは、長毛賊と支那
人の戦う音と云った。(※その時の中国は、太平天国の乱で騒然としていて、長髪賊
(長毛賊)は、清朝(満州族)が漢人に押しつけた辮髪に反対して髪を伸ばして反乱しま
した、晋作は支那人と書いていますが清朝兵には既に抑える勢力もなく、上海の外国勢が華
南人など傭兵して街を守るため、戦闘していたようです。)この銃声轟音を聞いて
晋作もそうであろうと思っていて、彼は上海でこんな戦闘に出会うとは
と内心喜びました。やがて日本でも戦いが始まることや攘夷は戦いしか
ないと決めていた彼は、心が躍るような勇み立つ気持ちで捉えたので
す。官船が碇泊している処は呉淞江(黄浦江)の中口で両岸が十餘町で
数千隻の支那人が皆この水を飲んでいると英人が云ったと書いています。
邦人が上海視察に来て初めて水の汚れや陸上のゲリラ戰のあり様をみて
半ば、呆れかえって「朝夕飲此濁水必多可傷人」・・・朝夕この濁水を
飲むと必ずや傷人多なるべし、と心配しています。
5月8日は、上陸しますが風疾と書いてあるので痛風が出たのでしょうか、
船に帰って「頗足慰旅愁」と書いてあります。読み方が判りませんが、
意味はだいたい判ります。頗る旅愁で足が慰めるちゅうのですかねぇ???
幕末の漢文で今回覚えた事
①以為(おもえら)く・・・どのように考えるか?
②加之(しかのみならず)・・・そればかりでなく、それにくわえて
《2015.5.29 周南市 東郭》

2008年の上海