【花燃ゆ】第20回「松陰、復活」高杉晋作(高良健吾)は素晴らしい! | 周南市 東郭の世界

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第20回 ”松陰、復活!” が5月17日放映されました。
 
今回描かれているのは、文久2年(1862年)の時代であります。長州藩家老の長井雅楽が
 
建白した「航海遠略策」は、基本的に幕府体制を維持しつゝ、朝廷の攘夷を開国へ向かわせ
 
公武一和とするものであり、薩摩藩の島津久光は、朝廷を前面に奉り、その勅許の基に
 
武力を背景として幕藩体制を変えようとするものです。
 
島津久光が京に1,000名の兵を引き連れ乗り込んで来たのは、4月16日で翌17日には
 
孝明天皇は非常に喜んで拝謁を許し、京の治安を任せたとあります。尚且、久光は江戸の
 
赴き幕府閣僚に圧力を掛けます。1月15日には坂下門外の変、2月11日には皇女和の宮の
 
降嫁などがあり公武合体が順調に進展しているようですが、そのなかでも主導権争いの
 
筆頭に立つ島津久光の企てにより、長井雅楽の「航海遠略策」は退けられるようになって
 
しまいます。「花燃ゆ」第21回では、長州藩も藩是を破約攘夷に変えようと敬親公の命を
 
受け小田村伊之助が、長州支藩の説得に動いています。その過程で、敬親公は松陰の言葉を
 
なつかしむ場面もあり、伊之助らの働きで吉田松陰の名誉が回復されます。つまり、兵法
 
指南の吉田家は再興を許され、杉家の人々も罪人の家の汚名が晴らされたわけです。
 
高杉晋作は、4月27日に幕船「千歳丸」で上海に行き、その時の清国の状況を目にします。
 
外国列強に、踏みつけられて人権も無視されている上海の実情は、晋作の考えを一変させる
 
ものでした。動けば雷電如く発すれば風雨如し衆目駭然として敢えて正視するもの
 
なし”と後に伊藤利助(博文)が言ったように長州武士の生き様を見つけたのです。
 
”尊王攘夷の狼煙を揚げる”と言っていますが、その第一派は、12月12日の長州藩士10名で、
 
英国公使館焼討ちでした。
 
 
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東行庵の高杉晋作陶像
 
高杉晋作は、上海へ行った時の事を「遊清五録」に残していますが、その中に、
 
「因熟観上海之形勢,支那人姦為外国人之便役,英法(仏のこと)之人歩行街市,清人皆避傍譲
 
道,実上海之地雖属支那,謂英仏属地,又可也,北京去此三百里,必可存中国之風,使親近及此
 
地,嵯亦可為慨歎央,因憶,呂蒙正諫未太宗,以親近,不及遠,豊不宜也,雖我邦人,可須心也,
 
非支那之事也」と言って清国が英仏国に踏みにじられる様子を見て日本もこのままでは、
 
 
清国と同じになってしまうと危惧したのであります。
 
最後にドラマ中で上海土産の「スワトウ」刺繍の話がありましたが、スワトウが何語か
 
分らなかったので、調べてみました。
 

スワトウ
 
中国語の汕頭(簡体字では汕)が語源。広東省東部の地名。広東語の方言である潮州語に
 
よる明代の発音ソワタウが英語でSwatowと表記された。日本語のスワトウはその転訛。
 
東語ではSaan-Tau、普通語ではShan-Touと発音。因みにスワトウ・ウエアは明中期〜清
 
初期に福建省東部の漳州で焼かれスワトウから送り出された磁器の総称(日本では呉須、呉
 
須手、呉須染め付けという)。また、スワトウ・レースは天津条約が結ばれた1858年にイギ
 
リス人宣教師によってヨーロッパ・レースのデザインや製法が伝えられそれと当地にあった
 
伝統刺繍が融合し発展したもの。また汕頭菜はスワトウ料理のこと。
 
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