【花燃ゆ】第19回「女たち、手を組む」松浦亀太郎(内野謙太)は素晴らしい! | 周南市 東郭の世界

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第19回 ”女たち、手を組む” が5月10日放映されました。
 
今回描かれているのは、文久元年(1861年)~文久2年(1862年)の時代であります。
 
日本の政治状勢は、安政の大獄で井伊直弼が水戸藩士等に暗殺(安政7年3月3日)からも
 
幕府政権は揺れ続けますが、長州藩重役長井雅楽の「航海遠略策」が朝廷や幕府の公武合体
 
に歓迎され、文久2年2月11日 徳川家茂と和宮親子内親王の婚儀が行われます。また、
 
公武合体派の推進役島津久光は4月16日薩摩軍を率いて京にまで上って来たりする時代で
 
す。ドラマでは久坂玄瑞らが、公武合体藩是の藩政を問い糺し、薩摩藩に遅れを取るまいと
 
して松下村塾々生たちと京へ登るときの様子が描かれていました。公武一体派と尊王攘夷派
 
は、朝廷をめぐって京都が時局の表舞台になりました。長州藩の久坂等尊攘派は、藩重役の
 
長井雅楽の主張とは真っ向から反対で遂には暗殺を計画します。その時、松浦亀太郎が
 
単独で事を謀りますが失敗し自決ます。(文久2年4月13日没)
 
松浦亀太郎についてWikipediaでは、つぎの様に記述しています。

松浦 松洞(まつうら しょうどう)は、江戸時代末期(幕末)の画家、長州藩の志士。
 
諱は温古、通称は亀太郎。
 
魚商人の子として生まれる。長州藩士・根来主馬の家臣として仕える。安政3年(1856年)
 
吉田松陰の松下村塾に入り、尊王攘夷運動に参加。安政5年(1858年)江戸に出て渡米を
 
企てるものの失敗している。
 
文久2年(1862年)久坂玄瑞らと上洛し、公武合体・開国派であった長州藩士・長井雅楽
 
暗殺を計画したが、翻意を促されて断念し、京都粟田山にて切腹した。
 
幼少より絵画を志し、画家としては四条派の羽様西崕に師事しており、安政6年(1859年)
 
安政の大獄によって江戸護送が決定した吉田松陰の肖像画を残している。《Wikipedia》
 

今日の花燃ゆで松浦亀太郎役の内野謙太さんは、よかったですね。
 
家族を守るのが魚屋の長男としての生き方だとする反面、日本の為に尊王攘夷を志に突き進
 
みたい長州男児の野望が見てとれました。この矛盾にも似た二者択一の方向を決めるのは、
 
昔から難しいことでありました。特に家計の苦しい場合は、働き手を失う親の気持ちを
 
考えると決断に迷うところです。平安の昔から勉学して僧侶になって人々を救いたいと
 
思う子が親と助けられない悩みとか、近世では志願兵となることが国の為になると信じる子
 
が、百姓などの家事をして親を助けられなく悩みとかいろいろな場面で描かれていますね。
 
現代でも、親の面倒を見る為に仕事を辞めたり、或いは仕事を辞められないので老人ホーム
 
へ不本意ながら預けるケースもあります。あの椋梨藤汰が塾生たちに言っていましたね。
 
”自分の家や村を治められないものが、どうして国家を治められるのか?まず、自分の領分を
 
わきまえてから行動せよ!” と、これなんかもなかなかいゝ問題提起ですね。
 
それに、今度の花燃ゆは女性が主人公ということで、女性達にも陽を当てゝ問題提起して
 
います。主人公「文」は久坂玄瑞の”一灯銭申し合わせ”に協力奔走して資金をつくります。
 
脚本家は「文」に言わせます、”いつも男の心配ばっかりして・・・つまらん” と訴えます。
 
・・・女性にもやるべきことをちゃんと示して人権を認めて欲しい・・・
 
又、「文」は言います。”おなごは強いもんなんよ!”
 
これからのドラマは今日の副題「女たち、手を組む」で進んで行くことになるでしょうね。
 
女性軍の活躍、これからも楽しみにしています。
 
 
                        《2015.5.10 周南市 東郭》
 

現在、吉田松陰先生自賛の肖像は、すべて松浦松洞(亀太郎)が描いたもので、
 
 
 一般に眼にできるのは、複製です。自賛肖像6点は、下記にあります。
 
 
 
 
 
 【吉田松陰自賛肖像】と【吉田松陰自賛肖像考<山田稔氏>抜粋】
 
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