孝行とは? | 周南市 東郭の世界

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《熊本県菊池市泗水孔子公園》
 
孔子廟
 
 
 
 
 
 
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論語 為政二ノ6
 
 
 
 
【白文】
     子曰 父母唯其疾之憂
         zǐyuē fùmŭwéiqíjí zhīyōu
 
 
【読み下し文】
 
 
 
 子曰く 父母は唯その疾(やまい)をこれ憂う
 
 
【現代語訳】
 
 
 孔子は仰られた。
 
 父母はいつも子の健康のすぐれないのに心をいためるものでございます。
 
 
 
 
【東郭説明】
 
 
 
 魯の大夫「孟武伯」が孔子に「孝行」の道を問うと前文にあります。
 
 
 伊藤仁斎は、”子供が父母の健康を心配し、父母が病気にかからないようにと憂えるのが
 
 孝行だ” と解釈していますが、親からみた子供、子供からみた親と言う立場の違いです
 
 ね。何れにしても一番近い間柄の健康を願う気持ちに違いはありません。
 
 
 二十四孝の王祥の話に「王祥(おうしょう)は母を亡くした。父は後妻をもらい、王祥
 
 は継母からひどい扱いを受けたが恨みに思わず、継母にも大変孝行をした。
 
 実母が健在の折、冬の極寒の際に魚が食べたいと言い、王祥は河に行った。しかし、
 
 河は氷に覆われ魚はどこにも見えなかった。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏して
 
 いると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。早速獲って帰って母に与えた。
 
 この孝行のためか、王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという」
 
 
 孝行息子の範を二十四例あげた「絵と文章がある彫り物や書物」をご覧になられた方も
 
 
 多いと思います。福沢諭吉などは「こんな孝行を子に求めるのはやり過ぎだ」と批判し
 
 
 ているとも書いてあります。
 
 
 
 親が子の健康をひたすら願うのはしごく普通の気持ちですが、子の立場も同じであろうと
 
 
 思います。子供に孝行を押しつけるのはちょっと酷過ぎるんじゃないかという論点に
 
 
 たつと話が複雑になってしまいます。
 
 日本でも子供が親の面倒をみるのは、当たり前のことでありましたが経済事情などから
 
 
 その思いも近年 遂げられないことも多いですね。昔の例で言えば、子供が僧になって
 
 
 救世済度の道を歩むと志すと、子供からは親の面倒を見られなくなるという矛盾が生じ
 
 
 ます。不幸なことでありましたが、特攻隊の戦士は、若くして親の面倒を見られなくなり
 
 ました。吉田松陰の早世も両親に対しては不孝です。そうすると子供はなにも出来なくな
 
 ってしまいます。親からすれば、子供が独り立ちして立派に生計を立てられるするのが
 
 
 なによりも望むことでありますから、自分の面倒をみてくれないのが不孝行とするような
 
 
 
 子供の自己犠牲を弛いるようなことは決して望んでいないと思うのであります。
 
 
 
 
 
 福沢諭吉も24孝子のような事例に反発したのではないでしょうか。
 
 
 
 
 孝行とは、子供が親に対してだけするものでしょうか、私は親が子供に対して孝行する
 
 概念があってもよいと思います。そうすると双方の立場が同じになります。そのなかで
 
 
 折り合いをつけていけばいゝことではないでしょうか。男女均等法ではないですが、
 
 
 親子均等です。事実、空海にしても松陰にしてもこの孝行については折り合いをつけて
 
 
 います。多少、親不孝を思うことがあってもそれよりも自分の生きる道を優先しました。
 
 
 また、親も子に(孝行する立場から)許してくれました。
 
 
 
 もうひとつ、孝行は親が死んで孝行出来なくなるというのは、事象はそうであれ単純で
 
 す。仏教では、死んでからもお墓に参ったり法要を行ったりしますが、親が死んでも
 
 
 弔うという事をします。儒学にもなんか書いてあったような気がしますが、孝行は
 
 
 親に対しての愛情を一生持ち続けるということではないでしょうか?
 
 
                          《2015.2.22 周南市 東郭》