【花燃ゆ】第3回「ついてない男」感想 | 周南市 東郭の世界

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NHK大河ドラマ 花燃ゆ第3回「ついてない男」が放映されました。
 
今回のおもな出来事は、吉田松陰(寅次郎)が藩主に提出した建白書の取り扱いについての
 
波紋で、主人公「ふみ」の心配を中心に物語が進んでいきます。時代背景はペリーの浦賀黒船
 
来航の嘉永6年(1853年)から翌年再来航するまでの嘉永7年(1854年)のお話しです。
 
吉田松陰(寅次郎)は、この時期10年間の他国遊学を許可されている身なのですが、通常では
 
あり得ない建白書を藩主提出しました。具体的には「急務発議」、「将及私言」、「海戦策」
 
三つの意見書を書いて提出していますが、ドラマの建白書というのは、恐らくこれらを一括
 
て描いているようです。吉田松陰は、夷敵を排除するだけの攘夷論者でなく開国攘夷論者
 
でしたから、逼迫した幕藩体制の次の体制に移行する建議をしたものと思われます。
 
花燃ゆのドラマでは、ここで長州藩重役「周布正之助」のとりなしで寅次郎は大事になり
 
ませんでしたが、江戸へ出奔する流れになっています。(黒船に乗りこむ・・・第4話)
 
ここで、久坂玄瑞が始めて登場します。久坂家は萩藩藩医の家の生まれでしたが、不幸な
 
ことに15歳までに母富子、長兄玄機、父良迪(りょうてき)を相次いで亡くし天涯孤独の
 
身となって、藩医を継がざるを得ない境遇になってしまいます。元々長兄玄機やその友達の
 
海防僧月性等の影響を受けて、攘夷の思想を持つようになっていました。
 
第3話は、「ついてない男」と題していますが、この久坂玄瑞を言っているのでしょう。
 
でも、これまで見た男たちは、みんな「ついてない男」たちです。
 
女主人公「ふみ」の夫となる人の扱いが初回から「ついてない男」で語られるとは、意外
 
でした。国を憂い新しい日本を造る大きな意思を持って活動しようとする寅次郎や伊之助
 
に玄瑞が加わります。「ついている」とか、「ついていない」とかの問題ではありません。
 
主人公「ふみ」との出会いの設定を、”おみくじ” でスタートさせるのは、いかにもドラマ的
 
です。と言ってもなかなか名案は浮かびませんが。
 
イメージ 1
                《久坂玄瑞/松下村塾》
 
 
 
「ふみ」と「寅次郎」との会話で「知行合一」という言葉が出て来ました。
 
知行合一(ちこうごういつ)は、Wikipediaで次のように解説されています。


 
知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の
 
命題のひとつ。
 
知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判
 
断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え。論語の為政第二にある「先ず
 
其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。
 
王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教
 
えを主張した。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」である
 
ことを批判して主張した。
 
江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響
 
を与えた。
 
知行合一は「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知る
 
ことの完成である)」「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表される
                                 《Wikipediaより》


中国語の説明
 
知行合一,是明大儒王阳明先生的一个重要主。下面引用《王阳明先生全集》中的文字,
 
知行合一的正确含
 
什么是知呢?知,不是指解、方法、理,而是良知、也是天理,阳明先生吾心之良知,
 
即所天理也
 
良知,出《孟子》。孟子人之所不学而能者,其良能也;所不而知者,其良知也。
 
孩提之童,无不知者;及其也,无不知敬其兄也。
 
阳明先生解释说知是心之本体,心自然会知:父自然知孝,兄自然知弟,孺子入井自然
 
恻隐,此便是良知不假外求。
 
行,又是什么意思呢?行,不是指行持、行践,而是致良知,意思是推广。
 
阳明先生吾心良知之天理于事事物物,事事物物皆得其理矣。致吾心之良知者,致知也。
 
事事物物皆得其理者,格物也。(格物:物,日用行事;格,去除,格除,格其非心
 
格物意思是,在日用行事中,察自己的内心,去除自己的非心-不符合良知的欲望。)。
 
知行合一:阳明先生,知和行本来就是一回事——“一个知,已自有行在;只一个行,
 
已自有知在言之,知行合一意思就是:秉承良知,在日用行事中省察自己的内心,
 
去除不符合良知的物欲,使知、行不被私欲隔断,恢复知行合一本体


 
周防國の儒学者
 
宇都宮 遯庵(うつのみや とんあん)寛永10年(1633年) -宝永4年(1707年)、江戸時代の儒学者。朱子学を教える塾を開き、多くの門弟を集め、周防吉川領での教育に従事した。
また周防国徳山藩主・毛利元次に招かれて、徳山でも朱子学を広めた。
 
山縣 周南(やまがた しゅうなん)、貞享4年(1687年) -宝暦2年(1752年)、江戸時代中期の儒学者。荻生徂徠の高弟であり、長州藩藩校・明倫館の二代目学頭。漢詩、国史に精通し、教育者としても名声を博した。