四国霊場遍路の旅を紹介しています。
今回は、四国霊場第76番札所金倉寺(こんぞうじ)で御座居ます。
御詠歌は、「まことにも神仏僧をひらくれば 真言加持の不思議なりけり」です。真言加持は、
1.息災法 2.増益法 3.敬愛法 4.調伏法があるといわれますが、神仏僧を明らかにする修法
で、弘法大師も多くも場所、場面で衆生を救う加持をした逸話があります。よく行をした人の
霊験は、劇的な効果が現れます。一般に歩けるようになった、眼病が治った、水が湧き出た
など不思議な例が幾多もありますね。
現代も修験道の火渡りなどは、健康祈願の護摩として行なわれますが、火傷ひとつしない
不思議がありますね。
《2014.11.2 周南市 東郭》

第76番札所 金倉寺(こんぞうじ)は、香川県善通寺市金蔵寺町1160にございます。


鐘楼

本堂参道
歴史・由来
金倉寺は、弘法大師の甥で天台宗寺門派の開祖「智証大師」が誕生した地。縁起によると、
弘法大師が生まれた宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)が建立し、
道善は「自在王堂」と名づけ、仁寿元年(851)11月に官寺となった際に開基の名をとって
「道善寺」となりました。その後、唐から帰朝した智証大師が唐の青龍寺にならって伽藍を造
営、薬師如来を刻んで本尊に。「金倉寺」になったのは928年、醍醐天皇の勅命で、地名の
金倉郷にちなんだ寺名となったようです。
「智証大師」は、子供の頃「日童丸」と呼ばれ、たいそう賢いと評判でした。智証大師が2歳
の時には、一人で遊んでいる幼い体からなんとも言えない後光が射しているのを付近の人々が
見たといわれています。そして、「きっと仏様が生まれ変わったに違いない。
将来は必ず立派なお方になられるだろう。」と、この地に立派な子が生まれたと喜び合った
そうです。また、5歳の時には目の前に天女が現れ、「貴方は三光天の一人、明星天子であ
り、虚空蔵菩薩の仮の姿。貴方が将来仏道に入るなら私がずっとお守りしましょう。」と告げ
られたという伝説も。この天女こそが、よその子供を食べた罪でお釈迦様に末子をとられ、
子供を失った母の辛さを教えられた後に仏になったとされる「訶利帝母(かりていも)」
(別名「鬼子母神(きしもじん)」)でした。こうして訶利帝母に守られて育った智証大師
は、修行を重ね、仏法を広めることに精進できたといわれています。《四国霊場会HP資料》

一願一杓地蔵

本堂
鶏足山 宝幢院 金倉寺(けいそくざん ほうどういん こんぞうじ)
宗派 天台寺門宗
本尊 薬師如来
創建 (伝)宝亀4年(774年)
開基 (伝)和気道善
住所 香川県善通寺市金蔵寺町1160
本尊真言 “おん ころころ せんだり まとうぎ そわか”

納経帳

大師堂

向拝
智証大師(円珍)像が中央に弘法大師(空海)像が右陣に神変大菩薩(役の行者)が左陣に
安置されている。智証大師の両脇仏として伝教大師と天台大師が大きな宮殿に納まっている。
四国八十八箇所の寺院で、大師堂に弘法大師以外の「大師」を中央に祀るのはここだけ。
大師堂の奥に続く奥殿にもその三尊の仏像が祀られている。《Wikipediaより》