四国遍路88ヶ所霊場巡りの旅をしています。
今日は、第16番札所 観音寺(かんのんじ)でございます。
ご詠歌に「忘れずも導きたまえ観音寺西方世界弥陀の浄土へ」とありますが、
天平13年(741年)聖武天皇が各地に国分寺を建立する勅命を発しました、寺伝ではこの時
行基に命じて勅願道場として観音寺を建てたと伝えられます。
西方浄土は、この後の末法思想により大きく広まったようですが、鑑真の持ってきた経典に
おいても既に印度にあったようです。
同時代の行基、阿弥陀の浄土へつながる(御詠歌の)過程は、興味深いところであります。
《2014.4.12 周南市 東郭》

四国霊場第16番札所観音寺は徳島県徳島市国府町観音寺にございます。

山門
光耀山(こうようざん)の扁額がみえます。
寺に伝わる宝物に『観音寺縁起』一巻がある。巻末に「享保十乙秋穀旦 南山沙門某甲謹書」
の署名があり、享保10年(1725)に高野山の僧が筆写したことがわかる。
その冒頭で「南海道阿波国名東郡観音寺邑 光耀山千手院観音寺縁起」と書き出し、
観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にしたこと、
また脇侍像に悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を刻んだことや、徳島藩主の
蜂須賀綱矩公が新築・移転に協力したことなどの寺史が詳しく記されている。
この『縁起』とは別に、寺伝では聖武天皇(在位724〜49)が天平13年、全国68ヶ所に国分
寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹と
されている。
弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、
現在の寺名を定めたとされている。《四国遍路霊場会HPより》

本 堂
光耀山 千手院 観音寺(こうようさん せんじゅいん かんのんじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観音菩薩
創建 天平13年(741年)
開祖 聖武天皇勅願
所在 徳島県徳島市国府町
本尊真言: “おん ばさらたらまきりく そわか”

納経帳

大師堂
今年は、四国霊場開創1200周年ということで回向柱が立てられています。
回向柱は、御本尊様や弘法大師と白い綿布で繋がっており、柱を触って祈願しますと
願いが叶うと言われます。
それに、遺跡の文字がみえますが、ここは観音寺遺跡があり土器や数多くの木簡が
出土しています。

夜泣き地蔵
子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊で、子供の病気平癒、健康と成長を祈願する。
ご利益をあずかったお礼にと、何枚ものよだれかけが奉納される。

最後に本堂、千手観音に挨拶してお別れです。
本日も、お立ち寄り有難うございました。
次回は、第17番札所 井戸寺で御座います。