四国遍路88ヶ所霊場巡りの旅をしています。
今日は、四国別格霊場第2番札所 童学寺(どうがくじ)でございます。
ご詠歌に「まいるなら 三世の悪行 消えはてる 南無や薬師の 瑠璃の光に」とありますが、
三世(さんぜ)は、過去・現在・未来のこと、悪行が原因となって因果を受ける輪廻応報の
仏教の教えですが、それでもお参りすればお薬師様が救って下さるとよまれています。
《2014.4.10 周南市 東郭》

童学寺は、徳島県名西郡石井町城の内605にございます。

”奈良時代末から平安時代にかけ空海が7歳から15歳まで当寺で書道や密教などを学び、
『いろは四十八文字』を創作したと伝わる。
その由緒から寺号を童学寺と称するようになったとされる。” とWikiにありますが、
この山門を見ると童(わらべ)が口を開けて笑っているように見え、印象的です。

山門


本堂

本堂
東明山 童学寺(とうめいざん どうがくじ)
宗派 真言宗善通寺派
本尊 薬師如来
創建(伝) 飛鳥時代
開基(伝) 行基
住所 徳島県名西郡石井町城の内
真言 “おん ころころ さんだりまとうぎ そわか”

納経帳

大師堂
略縁起
飛鳥時代に行基が創建し、弘法大師が幼い頃、この地で書道や密教の学問を修得されたこと
から寺号を童学寺と称されています。
日本の民衆教育の最初である「いろは歌」47文字を創作されたと伝えられています。
大師が42才の弘仁6年(815)、再びこの地を訪れ堂宇を整え、薬師如来、阿弥陀如来、
観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天を刻み安置されました。本尊薬師如来は藤原時代の作で
国の重要文化財となっています。
その後、天正年間(1573~1592)兵火に遭い焼失しましたが、元禄年間(1688~1704)に
幕府の援助で再建されています。
納経所裏手の逍逢園入口に大師が硯の水を求めた泉があり、お加持水として諸病に効き、書道
上達の霊水として伝えられています。《四国別格ニ十霊場HPより》

境内様子

境内様子

大聖歓喜天堂

切支丹灯籠


境内様子

境内様子


山門を通って待っているバスに乗り込みます。
本日もお立ち寄り有難うございました。(礼!)
次回は、ほんとうに第16番札所 観音寺へ参りたいと思います。