四国遍路88ヶ所霊場巡りの旅をしています。
今日は、第14番札所 常楽寺(じょうらくじ)でございます。
ご詠歌に「常楽の岸にはいつか いたらましぐ弘誓の船に 乗り遅れずば」とありますが、
”常楽と云う事は常任にして移り変わりの無く苦しみ無くして最も楽しい所の蜜厳浄土極楽の事
であります。其の極楽の岸指して弘誓の船に打ち乗り遅れないよう漕ぎ行ば、生死の海は荒く
とも佛の御誓いは我々衆生を済度し成果を得せしめ下さるのであれば、いつかは極楽へ着くの
である” という解説があります。
《2014.4.6 周南市 東郭》

第14番札所 常楽寺は、徳島県徳島市国府町延命606に御座います。

常楽寺は左方向ですが、大日寺や国分寺も近くにあります。

常楽寺への石段をのぼります。
四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としている。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生
の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。とくに京都・広隆寺の国宝で、片膝を
立てて頬を右手でささえ考える半跏思惟の弥勒像は、そのやさしいお顔の表情が美しく、お大
師さまとともに光明を授けてくれるような仏といえよう。縁起では、弘法大師が42歳の厄年の
ころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来
迎されたという。大師はすぐに感得し、そばの霊木にその尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊
にした。この本尊について大師は、御遺告の一節に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊
の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし…」と触れら
れていることからも、常楽寺への篤い思いが偲ばれる。
後に、大師の甥・真然僧正が金堂を建て、また高野山の再興で知られる祈親上人によって講堂
や三重塔、仁王門などが建立されて、七堂伽藍がそびえる大寺院となった。室町時代には阿波
守護大名の祈願所にもなっているが、「天正の兵火」により焼失し灰燼に帰している。だが、
江戸時代初期には復興、後期の文化15年(1818)に低地の谷地から石段を約50段のぼった現
在地の「流水岩の庭」近くに移っている。奇形な岩盤の断層が重なる「流水岩の庭」。自然の
美しさにとけ込む魅力を醸し出す。《四国八十八霊場会HPより》

盛寿山 延命院 常楽寺(せいじゅさん えんめいいん じょうらくじ)

枝垂れ梅

境内を進みます。
ことしは、回向柱が立てられて弘法大師や御本尊と白い布で繋がっています。
回向柱に触ってお祈りをいたします。

本堂
盛寿山 延命院 常楽寺(じょうじゅさん えんめいいん じょうらくじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 弥勒菩薩
創建 弘仁6年(815年)
開祖 弘法大師
所在 徳島県徳島市国府町
本尊真言: “おん まいたれいや そわか”

納経帳

大師堂

アララギ大師

流水岩の庭というのですね。


流水岩の庭



帰途につく遍路さん

ヤブツバキ
本日もお立ち寄りくださいまして有難うございます(礼)
次回は、15番札所 国分寺でございます。