四国遍路別格20ヶ寺巡礼を写真で紹介をしています。
今回は、愛媛県四国中央市新宮町の別格13番仙龍寺(せんりゅうじ)であります。
空海が護摩修行したと伝えられ、厄除け、虫除け五穀豊穣に御利益があるとされます。
《2013.6.22 周南市 東郭》



本 堂
金光山 遍照院 仙龍寺 (きんこうざん へんじょういん せんりゅうじ)
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 弘法大師
創建(伝) 不詳
開基(伝) 法道
御真言 南無大師遍照金剛
住所 愛媛県四国中央市新宮町

左より、手水舎、鐘楼、六角堂、本堂

境内から石段を登ると仙人堂がある。

転生の塔

開運不動尊の像

正面の仙人堂は法道仙人を祀っています。法道仙人という名前が初めて出てきたので
どんな人物なのか、探ってみました。
《法道(ほうどう)は、インドの仙人。
鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢(くはつ)、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれる。
6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされる。
播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す、数多くの勅願寺を含む所縁の寺がみられる。》
Wikipediaより


空海の弘仁6年は、忙し過ぎる。空海41才or42才のときである。公式記録によれば
空海はこの時期、高雄山寺を本拠とし密教布教に取り組む為、高野山開創の準備を
していた。最澄との理念の違いが現われ、泰範も比叡山に帰りたくないので、空海が
書状をしたためた。四国88ヶ所霊場の開創も弘仁6年が多い。西暦815年は、京都に
いながら密教の密教布教に専心し、高野山の下賜の上表が弘仁7年6月19日なので
その下準備も念入りに行う必要があった時期である。嵯峨天皇が同年7月8日に異例の
速さで勅許を出している。これは、真言密教の日本完成の礎となったこの時期は、
空海にとっても、真言密教にとっても一大転機でその後の発展は今日見る通りである。
日本の古代人のなかで、空海ほど記録がしっかりした人は、いなかったのではないか
と思う。空海が唐から持ち帰った経典など膨大な巻物を朝廷に請来目録を出している
ように、当時の自分の書いた信書なども大事に持ち帰っている。また、風信帖なども
存在する。真済の書いた性靈集なども信憑性は高い。しかし空海には、伝説も
多いことも確かである。伝説が不確かだからと言って否定するものでもない。
ただ、私は、空海の時代に空海ほど記録が多く残っていることの偉大さに驚くのである。

本堂は、崖に寄り添うように建っています、こういうのを舞台造りというのでしょうか。
そして、本堂前の広場の下は、滝が流れています。



