ホタル乱舞最終夜(帰って来た蛍) | 周南市 東郭の世界

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2013年の蛍の季節も遂に終わりとなりました。
 
周南市西光寺川に最初に蛍を観たのが5月26日であり、この時は川の中が蛍の光で、
 
埋め尽くされる程の乱舞で有りました。
 
愚かにも小生、蛍の光跡を撮る昨年の決意をすっかり忘れており、動揺の一言でありました。
 
毎晩19:30から21:30頃まで5夜続けたと思いますが、はたして出来映えはどうでしょうか?
 
キラキラ蛍の盛期も短くて、パッと飛びだしたかと思うと、その日からどんどん少なくなりました。
 
最初の予想通り10日間でありましょう。条件が揃えばなんとか2週間は、見られるかも
 
知れません。今年は、雨があったので、そのあと急に少なくなり淋しい思いをしました。
 
しかし、まあ、来年もあると思えば、また期待も膨らむというものでしょう。
 
「蛍雪」とは、苦労して勉学に励む事と意味しますが、私には、「蛍のひか~り、窓の雪」は、
 
卒業式の歌くらいにしか思って居ませんでしたが、この歌詞を見ますと、又、違った面も
 
有る事に気付きます。
 
 蛍の光 窓の雪
 書読む月日 重ねつつ
 いつしか年も すぎの戸を
 開けてぞ今朝は 別れゆく

 とまるも行くも 限りとて
 互みに思う 千万の
 心のはしを ひとことに
 幸くとばかり 歌うなり

 筑紫のきわみ 陸の奥
 海山遠く へだつとも
 その真心は へだてなく
 ひとえに尽くせ 国のため

 千島の奥も 沖縄も
 八洲のうちの まもりなり
 いたらん国に いさおしく
 つとめよわがせ つつがなく
 
ところで、この蛍が帰って来る映画「ホタル」をご覧になったこと、おありでしょうか?
 
昭和20年6月6日は、特攻隊員宮川軍曹の誕生日であった。富屋食堂の鳥浜トメは、
 
出撃を待つ隊員から母と慕われ、この女主人も親代わりとなって隊員の面倒を見てきた。
 
誕生祝いをしてあげたトメに「明日の9時、帰ってくるから引き戸を開けておいてくれ」と、
 
出撃前の宮川はいった。そして当日夜9時、引き戸の間から一匹の蛍が蛍光を発しながら
 
キラキラ飛んで入ってきた。娘だったか、「お母さん~宮川さんが帰って来た、帰って来たのよ」と
 
泣き叫ぶシーンは、感動して涙が止まりませんでした。鳥浜トメさんは、終戦後軍国の母と
 
して、迫害もあったようですが、一貫して平和を願い、観音像や石灯籠、平和会館建設など
 
を成し遂げ、平成4年4月22日 89歳でお亡くなりになられました。
 
 
 
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