沖縄県八重山周遊5島めぐりは、石垣島、西表島、周布島、竹富島、小浜島を観光します。
今回は、竹富島の観光ですが、いうまでもなく島と島の交通は船であり、最も重要な交通機関です。
竹富島のみが竹富町なのだと思っていたが、竹富町は、16の島から構成されていて、そのうち9島が
有人島であり、西表島、波照間島、竹富島、小浜島、黒島、鳩間島、新城島、嘉弥真島、由布島が
あります。これらの町役場は、石垣市にあります。竹富町の人口は4,057人(2013.2月)ですが、
竹富島の人口は、349人で177世帯であります。竹富小中学校で学ぶ生徒は34人です。
周南市 東郭

竹富島は、石垣島から6kmの所にあり、周囲9km、面積5.4km2の楕円形の島、一番高い所でも
海抜20.5mで、海からみると平たい煎餅のようでもあり、その上に樹木の緑を被せているようです。


竹富島の魅力は、水牛車で廻る街並み風景でしょう。観光パンフもつぎのように記しています。
「珊瑚焦に囲まれ、昔ながらの赤瓦の民家や石垣が残されている島。
色彩豊かな花々と蝶、そして静かな集落をはしる白砂白と珊瑚道の町並みは沖縄の原風景
を物語り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。」


竹富島の人たちは、“島おこし”として類希な自然と古来よりの伝統的な街並みを観光資源にして
観光客を集めることが自分たちの生きる道と考えたのですね。ですから「竹富島憲章」なるものを
制定しました。
汚さない:海や浜辺、集落等島全体を汚さない。
乱さない:集落内、道路、海岸等の美観、島の風紀を乱さない。
壊さない:由緒ある家や集落、景観、美しい自然を壊さない。
生かす:伝統的祭事、行事を精神的支柱として民俗芸能、地場産業を生かす。
自然環境を維持しながら観光を促進して島の発展を目指すのは難しいことですが、そこの皆さんの
一致した協力態勢を見ることができます。この石垣と民族的な建物のなかでは、日常の生活が
あります。

シーサーも民家屋根や家の庭入り口などに置かれています。
“魔除け”の意味を持つものです、雄雌の区別があり口を開けているのが雄、
口を閉じているのが雌と言われています。或る説では口を開けて“福を呼び込む”
雄と“福を逃がさない”雌とに役割があり一対となっています。

この珊瑚石灰岩で組み上げられた石垣は、沖縄地方独特なものですが、水牛車のおじさんの
話では、台風襲来時の強風50~60m/secでも倒れないとか壊れないとか、それはこの石積が
風を通すからだと仰っていました。

「なごみの塔」この島で一番高い一人用の展望台が真ん中右奥に見えます。
水牛車のおじさんは、“今年は、花がまだ少ない” といわれます。
周囲の家々は花で溢れ、 私は、“もう十分いっぱい有ります” 思ったのですが
2・3年前の台風襲来で島中水を被ってしまい、まだ花がもとのように回復して
いないんだとか?。そういえば、赤瓦の漆喰屋根も珊瑚石灰石垣の石垣も
台風対策なんですね。民家の庭には「福木」というオトギソウ科の大きな樹が
植えてあり、これも台風対策の為なんですが、そういう自然の驚異に対しての
備えが、その地方独特な景観を醸し出しています。

竹富島の伝統的建造物群保存地区を水牛車に乗って、ゆっくりのんびり楽しみます。

民家の屋根には、それぞれに違ったシ-サ―が坐っています。

美女 安里屋(クマヤ)生誕の地とあります。
「安里屋ゆんた」はもともと竹富島の古謡であったものを、1934年に歌詞を判り易くして
「新安里屋ゆんた」の発表となったのが、現在よく聞く「安里屋ゆんた」であります。
古謡に歌われている美女は、実在の女性で下記Wikipediaに解説してあります。
「安里クヤマ(あさと クヤマ、1722年 - 1799年)は、18世紀の琉球王国・八重山諸島の女性。
民謡「安里屋ユンタ」により広く知られている。クヤマは1722年、八重山諸島の竹富島・安里屋に
生まれ絶世の美女として広くその名が知られていた。
クヤマが16歳の時、首里の王府から派遣されて来た目差主(みざしゅ、下級役人)がクヤマに
一目惚れし、賄い方(島妻)になって欲しいと求められるもクヤマは目差主の求婚を拒む。
その後、クヤマは目差主の上司である与人の賄い方となり与人が八重山を離れる際に土地を
献上されたと伝えられている。」・・・“ゆんた”は「結い歌」からの言葉で八重山地方の伝承歌謡
ということですが、掛け合い歌(労働歌)で歌われていたものゝようです。このお家には、現在も
子孫が生活されているということでした。

竹富島の伝統民家の街並みを水牛車に乗って、ゆらりゆらりと過ぎゆく時間は、
この風土にぴったり附合しています。
おじさんの弾く三線と安里屋ユンタの歌声は、いまでもその情景が浮かぶほど
南国の旅情をかきたてるものでした。
乗っている私たちも、いつしかおじさんと一緒になって「安里屋ユンタ」を歌って
いました。

水牛車の天井に貼られていた歌詞です。

エンゼルトランペット


竹富島の街路を水牛車に乗って、約40分、駐水牛車場に戻って参りました。
観光客は、徒歩で歩く人や貸し自転車で歩く人様々です。
水牛車に乗っている間、“ずぅーと”竹富島の話をしてくれるおじさんは、専門家とは
見えませんが、お話はお上手であり、とてもよく勉強されています。
水牛車は、何台もありますが、みなさん一体となって“島おこし”にかける情熱が
ありました。本当にありがとうございました。(拍手)
水牛の “ピー子”も頑張ってください。・・・次回つづく